サイクリング
■日野沢川沿い、秩父華厳の滝に向かう途中の左手にある、
櫓みたいなものはなんでありましょうか。
大前耕地を通り、大前山から破風山へ至る登山道の入口、
いわゆる秩父華厳の滝登山口であります。
■少し下流の石垣が残る中世の阿左美氏館との関係があるのかしら。
■秩父華厳の滝。
計画では、この先から奈良尾耕地までゼーハーであがり、
平坦に作られた奈良尾と門平の連絡道を通って、
上から門平を眺めてみたいというものでありました。
■それは569の尾根を巻く道であります(右上の赤矢印)。
それから神社(右上から2番目の赤矢印)を見て、門平に出る前に、
もしかしたら谷越しに耕地の全景が見れればという計画であります。
ただそれまでの無慈悲なアップダウンに少しやられておりましたし、
そのせいなのか、今日はなんだか、もともと、朝から、実は、
体調が万全ではないかもしれないなどと考え始めておりましたので、
帰る方向の匂いがする小前に向かったのであります。
■小前入口のバス停の前に座って、
お茶を飲みながら、地図を見て、しばらくもじもじしておりました。
バス停の場所は、以下の地図の青矢印であります。
■机上の計画は、
門平の後は、バス停の小前入口から登り、小前とは逆方向の、
579を目指してさらに登るというものでした。
それから立沢に行って、そこからダイレクト(左下の赤矢印)。
実際は登りの一番少ない、小前に上がってから降りるの道でありました。
■小前耕地。
■もう少し左手からでした。
『秩父悲歌』 (清水武甲 春秋社 1971)
■小前耕地の中心部。
傾斜のせいか、他の耕地に比べ、比較的ゆったりとした印象があります。
でも耕地の端からは、やっぱり急な下り坂で、そこを慎重に下りて、
■阿熊川沿いに戻り、
■下吉田に降りてきたのであります。
■沢辺から重木耕地に向けて登り始め。発祥の地であります。
基本は自転車で通り抜けられる道を選んでいましたが、
ここは往復でも見たかったのです。
■写真よりもっと薄暗いと感じた沢筋の比較的まっすぐな道。
やっぱり、乗るより押しているほうが多いのでありますが、
きついなぁと思ったら勾配18%でありました。
ただこの先、集落の手前で、勾配はさらに増すのであります。
■そこをゼーハーで登り切る直前。
左下に見えるのは旧道でありましょうか。
このあたり勾配24%の箇所もありました。
■登り切って上から見下ろすの図。
ここまでくれば、重木耕地はもう一息であります。
■耕地の入口。
■重木耕地。
■耕地間を結ぶ生活道の案内板。
■上の案内板の位置は、赤矢印のあたりだと思われます。
『秩父悲歌』 (清水武甲 春秋社 1971)
■耕地を抜けて、藤原に向かう道。
■耕地を抜けて小松方面。
この道幅は、荷馬が行き交いよく踏まれていた時から、
変わっていないと思われるのであります。
畑仕事をしていたおばあさんと少し立ち話をして、
「それで、どこに行く?」と聞かれて、「門平」って言ったら、
「小松から行ける」って言うので、そこはすごく歩いてみたいのだけれど、
「自転車だから、いったん下まで降りてから行く」って、そんな話をしました。
それから、石ころに乗り上げたら前転してしまうと感じる下り坂を、
ブレーキ握りしめて下りたのであります。
...つづく。
いくつか見たいものがあり、また行ったのであります。
■狭い谷あいにまとまって開けた耕地がある大神。
■赤線。
破風山の周囲を反時計まわりに。
門平の周辺もグリグリ走る計画で、それは後半の楽しみでありましたが、
前半でおなかが一杯になって、はしょったのでありました。
■高松への登りも、重木への登りもゼーハーになりました。
-------------------------------------------------------------------------------------------
■赤平川に沿って、下り基調で走りだして、
■先日の国神の大イチョウにも寄ってからは、
日野沢川に沿いに、いくつかの耕地を目指すであります。
■高松への登り。
乗るより押しているほうが多いのでありますが、
押すのが重いと感じる、勾配18%の箇所もありました。
■やっとのこと段丘の上に上がった感じで高松に着きました。
■ちょっと進んだ先から。
■そこからは蓑山と皆野の町が見えました。
■地図で高松から大神に向かう尾根越えの道にあった案内板には、
進む先に高松と書いてあったので、たった今、通ってきた集落は、
高松ではないのでありますか。ここは不明なところであります。
して石仏群がすぐそこと書いてありますので、自転車を置いて、
歩いて見に行ったのであります。
■歩き出したらすぐ、右上に石が見えました。
■石仏群。ここは峠であります。
右から歩いて上ってきたのでありますが、左には大神に向かって下りる道。
真ん中に登っている道は、どこまで続くのかはわからないですが、
地図上で598.2の三角点ピークから伸びる尾根であります。
このちょっと右上によく公園とかにある柵が見えたので上がってみました。
■これ。
壇状であります。
■少し奥から。
■壇の上からは、蓑山と皆野の町、右奥に武甲山が見えました。
東南の方向で、月を眺めた場所でありましょうか。
展望を楽しんだら、自転車に戻り、ちょっと下ったら大神であります。
■狭い谷あいに、傾斜の緩いまとまった平地が広がっていて、
すごいと思うのであります。
■耕地の周囲には防護柵が。
■日野沢川に下りる道で、谷筋の若浜が見下ろせました。
■下った先は日野沢川でありますが、この下りは勾配20%でした。
■下りてきて若浜。
...つづく。
■狭い谷あいにまとまって開けた耕地がある大神。
■赤線。
破風山の周囲を反時計まわりに。
門平の周辺もグリグリ走る計画で、それは後半の楽しみでありましたが、
前半でおなかが一杯になって、はしょったのでありました。
■高松への登りも、重木への登りもゼーハーになりました。
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■赤平川に沿って、下り基調で走りだして、
■先日の国神の大イチョウにも寄ってからは、
日野沢川に沿いに、いくつかの耕地を目指すであります。
■高松への登り。
乗るより押しているほうが多いのでありますが、
押すのが重いと感じる、勾配18%の箇所もありました。
■やっとのこと段丘の上に上がった感じで高松に着きました。
■ちょっと進んだ先から。
■そこからは蓑山と皆野の町が見えました。
■地図で高松から大神に向かう尾根越えの道にあった案内板には、
進む先に高松と書いてあったので、たった今、通ってきた集落は、
高松ではないのでありますか。ここは不明なところであります。
して石仏群がすぐそこと書いてありますので、自転車を置いて、
歩いて見に行ったのであります。
■歩き出したらすぐ、右上に石が見えました。
■石仏群。ここは峠であります。
右から歩いて上ってきたのでありますが、左には大神に向かって下りる道。
真ん中に登っている道は、どこまで続くのかはわからないですが、
地図上で598.2の三角点ピークから伸びる尾根であります。
このちょっと右上によく公園とかにある柵が見えたので上がってみました。
■これ。
壇状であります。
■少し奥から。
■壇の上からは、蓑山と皆野の町、右奥に武甲山が見えました。
東南の方向で、月を眺めた場所でありましょうか。
展望を楽しんだら、自転車に戻り、ちょっと下ったら大神であります。
■狭い谷あいに、傾斜の緩いまとまった平地が広がっていて、
すごいと思うのであります。
■耕地の周囲には防護柵が。
■日野沢川に下りる道で、谷筋の若浜が見下ろせました。
■下った先は日野沢川でありますが、この下りは勾配20%でした。
■下りてきて若浜。
...つづく。
秩父華厳の滝から奈良尾峠に向かうであります。
■奈良尾耕地。
右に小松耕地への車道分岐。
■自転車を押すのもきつい上り坂を進み、
■あの上の道に行くには、そろそろ左につづら折れるのかしらなどと、
思いながら押し歩きしていたら、
■このハングした、道にカブっているすごい岩を見て、
曲りどころを間違えたのにやっと気が付きました。
この先は旧道で登山道であります。
正しい分岐まで引き返しました。
■その上の道からの奈良尾耕地。
■奈良尾耕地を過ぎれば、山頂までは集落はなく、
日も陰ってちょっとさみしい道をひたすら登るだけであります。
■空が広くなったと感じてくれば、ほどなく奈良尾峠。
■峠を過ぎて、やっと上州側が見えました。
■爽やかな高度感がある道を進み、
■城峯山の山頂電波塔がやっと見えた場所。
■この先は太田部峠方向ですが、通行不止めでありました。
太田部峠から石間に下りる道で、上から横道耕地を眺めるのが、
城峯山に登るよりも後半のメインイベントのつもりでいたので、
そこは残念でありますが、次回であります。
ここから城峯山の南面に回り込んで神社に行きました。
■城峯神社参道。
この手前に自転車をデポして歩きはじめました。
■城峯神社。
■神社の左手から山頂への登山道が上がっております。
■こんな道や、
■こんな道を登りつめて、
■電波塔が見えれば、山頂であります。
■一等三角点の城峯山山頂。
電波塔中段が展望台になっておりますので、もちろん上がりました。
■連なる山、山、山であります。
中央左に両神山。その右手前はパックリ割れてる二子山。
左下に見えている集落は半納耕地と沢戸耕地でありましょうか。
■西上州、スーパー林道のスカイライン。
■神流湖方面。
■秩父市街方面。中央は武甲山。
■その拡大。
暑い日でしたが、山頂に吹く風はやっぱりちょっと冷たくて、
少し寒さを感じました。
■しばらく展望を楽しんだら、来た道を下りるであります。
■神社の上まで下りてきました。
■石間峠までは戻らずに下りるであります。
■ちょっと下りた所から見上げた山頂の電波塔。
この下りは斜度がある上に、落石がザラザラしてる箇所もあって、
ハードであります。
ブレーキを持つ手が疲れるので、時々休みながら、
しかしあっと言う間に下りたのであります。
横道耕地を上から見るのは、また、別のルートでトライしてみようと、
そう思いながらの帰り道でありました。
■奈良尾耕地。
右に小松耕地への車道分岐。
■自転車を押すのもきつい上り坂を進み、
■あの上の道に行くには、そろそろ左につづら折れるのかしらなどと、
思いながら押し歩きしていたら、
■このハングした、道にカブっているすごい岩を見て、
曲りどころを間違えたのにやっと気が付きました。
この先は旧道で登山道であります。
正しい分岐まで引き返しました。
■その上の道からの奈良尾耕地。
■奈良尾耕地を過ぎれば、山頂までは集落はなく、
日も陰ってちょっとさみしい道をひたすら登るだけであります。
■空が広くなったと感じてくれば、ほどなく奈良尾峠。
■峠を過ぎて、やっと上州側が見えました。
■爽やかな高度感がある道を進み、
■城峯山の山頂電波塔がやっと見えた場所。
■この先は太田部峠方向ですが、通行不止めでありました。
太田部峠から石間に下りる道で、上から横道耕地を眺めるのが、
城峯山に登るよりも後半のメインイベントのつもりでいたので、
そこは残念でありますが、次回であります。
ここから城峯山の南面に回り込んで神社に行きました。
■城峯神社参道。
この手前に自転車をデポして歩きはじめました。
■城峯神社。
■神社の左手から山頂への登山道が上がっております。
■こんな道や、
■こんな道を登りつめて、
■電波塔が見えれば、山頂であります。
■一等三角点の城峯山山頂。
電波塔中段が展望台になっておりますので、もちろん上がりました。
■連なる山、山、山であります。
中央左に両神山。その右手前はパックリ割れてる二子山。
左下に見えている集落は半納耕地と沢戸耕地でありましょうか。
■西上州、スーパー林道のスカイライン。
■神流湖方面。
■秩父市街方面。中央は武甲山。
■その拡大。
暑い日でしたが、山頂に吹く風はやっぱりちょっと冷たくて、
少し寒さを感じました。
■しばらく展望を楽しんだら、来た道を下りるであります。
■神社の上まで下りてきました。
■石間峠までは戻らずに下りるであります。
■ちょっと下りた所から見上げた山頂の電波塔。
この下りは斜度がある上に、落石がザラザラしてる箇所もあって、
ハードであります。
ブレーキを持つ手が疲れるので、時々休みながら、
しかしあっと言う間に下りたのであります。
横道耕地を上から見るのは、また、別のルートでトライしてみようと、
そう思いながらの帰り道でありました。
夏日の暑い一日でありました。
西秩父、城峯山の山麓に点在する耕地(集落)を見たさに、
下吉田から城峯山をクルッと回りました。
■桜と奈良尾耕地。
■城峯山からは、太田部峠にまわり、先日の石間川沿いを、
降りてくる計画でしたが、落石通行止めだったので、
ハードな阿熊川沿いをブレーキ持つ手が痺れながら降りてきました。
■城峯山への登りはやっぱりとても絞られましたが、
山麓に点在する耕地を隔てているのは、谷や尾根でありますので、
そのちょっとしたアップダウンジャブが効いたとは思うのであります。
9時過ぎに出発して、往復30分ほど歩く城峯山山頂は14時。
再び自転車に乗って、40分ほどで出発地点に戻ってきました。
----------------------------------------------------------------------------
■下吉田と桜と、奥に武甲山。
■阿熊の谷に入るとすぐ、窪田巡査殉職の碑がありました。
椋神社での武装蜂起前日の最初の戦いでのことであります。
車道から少し上がったところにありますが、
もともとはそこが道だったとのことであります。
■彦久保。
右奥に金岳の岩峰が見えております。
■「天狗の石」を過ぎたあたりから振り返ってみた金岳。
■取り壊しでしょうか。
■横田倉。
■立沢近く。
■上日野沢への分岐を上部から。
帰りに写真を撮った背中側から降りてくることになるのは、
もちろんこの時は知らないのでありました。
■立沢。
■門平に向かうきつい登り。
■門平を西側から。
■門平の高札場。
S48に復元工事されるまで、江戸時代からのものが立っていたらしいと、
案内板には書いてありました。
■小前の八坂神社。
武装蜂起の日時を決めた小前会議が行われたとされる場所であります。
彫られた名前もありました。
■小前耕地上部。
■秩父華厳の滝。
狭い谷に、とにかく大きいものでした。
■滝の上から。下に寝そべっている人が見えました。
この手前で、少し国神方面に下ると重木耕地の入口ですが、
次の楽しみとして、ここからいよいよ城峯山に向けて、
奈良尾峠の登りに入ったのであります。
つづく。
西秩父、城峯山の山麓に点在する耕地(集落)を見たさに、
下吉田から城峯山をクルッと回りました。
■桜と奈良尾耕地。
■城峯山からは、太田部峠にまわり、先日の石間川沿いを、
降りてくる計画でしたが、落石通行止めだったので、
ハードな阿熊川沿いをブレーキ持つ手が痺れながら降りてきました。
■城峯山への登りはやっぱりとても絞られましたが、
山麓に点在する耕地を隔てているのは、谷や尾根でありますので、
そのちょっとしたアップダウンジャブが効いたとは思うのであります。
9時過ぎに出発して、往復30分ほど歩く城峯山山頂は14時。
再び自転車に乗って、40分ほどで出発地点に戻ってきました。
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■下吉田と桜と、奥に武甲山。
■阿熊の谷に入るとすぐ、窪田巡査殉職の碑がありました。
椋神社での武装蜂起前日の最初の戦いでのことであります。
車道から少し上がったところにありますが、
もともとはそこが道だったとのことであります。
■彦久保。
右奥に金岳の岩峰が見えております。
■「天狗の石」を過ぎたあたりから振り返ってみた金岳。
■取り壊しでしょうか。
■横田倉。
■立沢近く。
■上日野沢への分岐を上部から。
帰りに写真を撮った背中側から降りてくることになるのは、
もちろんこの時は知らないのでありました。
■立沢。
■門平に向かうきつい登り。
■門平を西側から。
■門平の高札場。
S48に復元工事されるまで、江戸時代からのものが立っていたらしいと、
案内板には書いてありました。
■小前の八坂神社。
武装蜂起の日時を決めた小前会議が行われたとされる場所であります。
彫られた名前もありました。
■小前耕地上部。
■秩父華厳の滝。
狭い谷に、とにかく大きいものでした。
■滝の上から。下に寝そべっている人が見えました。
この手前で、少し国神方面に下ると重木耕地の入口ですが、
次の楽しみとして、ここからいよいよ城峯山に向けて、
奈良尾峠の登りに入ったのであります。
つづく。
吉田と小鹿野で見て回った古墳であります。
■世界の奇獣、パレオパラドキシア。
所有のガイドブックに載っていない古墳の有り無しや、
その位置も含めた基本情報、見つけた古墳の同定情報などは、
埼群古墳館 様より得ております。Powerd By であります。
----------------------------------------------------------------------------
■井椋塚古墳。
下吉田の椋神社そばにある芦田古墳群の1号墳。墳頂に小さな祠。
工場の敷地のなかに残されているので、
そこにあるとわかって行かないと見つからない場所であります。
■丸山塚古墳(小鹿野町)。
径30m、高さ5mの円墳で、秩父では指折りの大きさであります。
住宅地の中にあるので、近づかないと見えないのでありますが、
見えた時はそのどっしりとした姿に感動するのでありました。
■東側に鳥居。
■丸山古墳(小鹿野町)。
先の古墳と名前が紛らわしいところでありますが、こちらは「塚」がない。
径11m。
■小さな石がたくさんありました。
■道の先、道にかぶるように、お塚古墳(小鹿野町)が見えております。
■これ。佇まいがいいのであります。
測量調査の結果、上円下方形ということでありますが、
見た目は円墳であります。
塚の可能性もあるということであります。
■こじんまりと。
■墳頂から。
■小鹿原古墳群(小鹿野町)のあたりを少し回ってみたけれど、
よくわからないのでありました。
ちなみに、小鹿原はオガハラではなくオシカハラと読むとのことで、
よそ者には難しいところであります。
■小鹿塚古墳(小鹿野町、小鹿原古墳群)
オシカ塚古墳(オガノ町、オシカハラ古墳群) うみゅ。
奥に秩父宮殿下の御染筆による「小鹿野碑」が建立されていて、
そこが前方部の前方後円墳という伝承があるが、
確認できていないとのことであります。
もし前方後円墳であったなら、500基はあったとされる秩父盆地の古墳で、
唯一のものとなるのであります。
■奥に回ってみたところ。
しかし、前方後円墳だったかどうかが不明というのは、
なんだかしっくりこないのであります。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No147号墳と思われる古墳。
このすぐ北側に3基ほど並んでいました。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No151号墳。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No150号墳。
肉眼では、自転車の奥に、先のNo151号墳の裏側(南側)が、
見えておりましたが、写真だとはっきりしないところであります。
■千尋原古墳群(小鹿野町)の、氷雨塚。
開口しております。
■古墳の東側。
■たんぽぽ。
■天井石が露出した墳頂から、南西方向。
奥の建物は温泉施設で、そこに隣接する「般若の丘」公園には、
大世界のまたとない奇獣、パレオパラドキシアの、
実物大のリアルな複製があるのを後から知りました。
機会があればぜひ見に行きたいものであります。
■その氷雨塚のすぐ東隣りには、千尋原古墳群(小鹿野町)のNo143号墳。
■「ようばけ」そばの、山の神古墳(小鹿野町)。
■とてもきれいに手入れされた古墳であります。
おくの崖が「ようばけ」。
■小暮古墳群1号墳の行人塚古墳。
改変を受けていますが、高さはありました。
すぐ近くに径30m前後の、大きな牧林古墳があるのでありますが、
藪で墳丘はよくわからずでありました。
その他には、かつては80基(現20基強)あって、塚原と言われていた、
地域では最大の群集墳だった取方古墳群など、いくつか古墳群がありますが、
次回の楽しみとしました。
■世界の奇獣、パレオパラドキシア。
所有のガイドブックに載っていない古墳の有り無しや、
その位置も含めた基本情報、見つけた古墳の同定情報などは、
埼群古墳館 様より得ております。Powerd By であります。
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■井椋塚古墳。
下吉田の椋神社そばにある芦田古墳群の1号墳。墳頂に小さな祠。
工場の敷地のなかに残されているので、
そこにあるとわかって行かないと見つからない場所であります。
■丸山塚古墳(小鹿野町)。
径30m、高さ5mの円墳で、秩父では指折りの大きさであります。
住宅地の中にあるので、近づかないと見えないのでありますが、
見えた時はそのどっしりとした姿に感動するのでありました。
■東側に鳥居。
■丸山古墳(小鹿野町)。
先の古墳と名前が紛らわしいところでありますが、こちらは「塚」がない。
径11m。
■小さな石がたくさんありました。
■道の先、道にかぶるように、お塚古墳(小鹿野町)が見えております。
■これ。佇まいがいいのであります。
測量調査の結果、上円下方形ということでありますが、
見た目は円墳であります。
塚の可能性もあるということであります。
■こじんまりと。
■墳頂から。
■小鹿原古墳群(小鹿野町)のあたりを少し回ってみたけれど、
よくわからないのでありました。
ちなみに、小鹿原はオガハラではなくオシカハラと読むとのことで、
よそ者には難しいところであります。
■小鹿塚古墳(小鹿野町、小鹿原古墳群)
オシカ塚古墳(オガノ町、オシカハラ古墳群) うみゅ。
奥に秩父宮殿下の御染筆による「小鹿野碑」が建立されていて、
そこが前方部の前方後円墳という伝承があるが、
確認できていないとのことであります。
もし前方後円墳であったなら、500基はあったとされる秩父盆地の古墳で、
唯一のものとなるのであります。
■奥に回ってみたところ。
しかし、前方後円墳だったかどうかが不明というのは、
なんだかしっくりこないのであります。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No147号墳と思われる古墳。
このすぐ北側に3基ほど並んでいました。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No151号墳。
■千尋原古墳群(小鹿野町)、No150号墳。
肉眼では、自転車の奥に、先のNo151号墳の裏側(南側)が、
見えておりましたが、写真だとはっきりしないところであります。
■千尋原古墳群(小鹿野町)の、氷雨塚。
開口しております。
■古墳の東側。
■たんぽぽ。
■天井石が露出した墳頂から、南西方向。
奥の建物は温泉施設で、そこに隣接する「般若の丘」公園には、
大世界のまたとない奇獣、パレオパラドキシアの、
実物大のリアルな複製があるのを後から知りました。
機会があればぜひ見に行きたいものであります。
■その氷雨塚のすぐ東隣りには、千尋原古墳群(小鹿野町)のNo143号墳。
■「ようばけ」そばの、山の神古墳(小鹿野町)。
■とてもきれいに手入れされた古墳であります。
おくの崖が「ようばけ」。
■小暮古墳群1号墳の行人塚古墳。
改変を受けていますが、高さはありました。
すぐ近くに径30m前後の、大きな牧林古墳があるのでありますが、
藪で墳丘はよくわからずでありました。
その他には、かつては80基(現20基強)あって、塚原と言われていた、
地域では最大の群集墳だった取方古墳群など、いくつか古墳群がありますが、
次回の楽しみとしました。
■半納横道の「堂の尾根」にある「火の見やぐら」と「常夜灯」。
この景色や、谷沿いの傾斜地に点在する耕地(集落)を見たいのと、
■小鹿野の古墳を見たくて、自転車で回ってきました。
上の古墳は、小鹿野町般若にある「お塚古墳」。
■全体図。
まず石間川沿いに登り、半納耕地を往復してから、
小鹿野町にと思っておりましたが、霧雨模様で雲が低く、
山は後回しににしました。
天気が多少回復する見込みでもありましたし。
■最高到達点は、半納の横道というか堂の尾根の火の見やぐらであります。
--------------------------------------------------------------------------------------
■朝の道の駅。
映画のセットだった復元の丸井商店。
■案内板拡大。
■左上をさらに拡大。
■咲始めた桜にも雨。
■椋神社の夫婦クヌギ。
右奥の山の裾に、木組みの発射台が見えております。
■椋神社。
■椋神社から東方面。
段丘の縁でありますれば、神社周辺に古墳がいくつかあるのであります。
■宮戸から丘陵を超えて、
■小鹿野町。
ここで休憩していたら、柴犬と散歩のおじいさんが通りかかり、
「桜はまだ五分だなぁ、来週の祭りの時がちょうどいい具合だなぁ」
ということでした。
■町の中を走り、
■般若地区も走り、
■奥の、地層が露出している崖(ようばけ)近くの、
「山の神古墳」を見に行った後、そばの「おがの化石館」に行きました。
入口の目立つところに並べてある置物。
不勉強な私には、どうしてこんなところで、
出っ歯のカバがとても嬉しそうにしているのか疑問でしたが、
■カバじゃないんですね。
■世界の奇獣「パレオパラドキシア」ということであります。
■うみゅ。
■魚の化石。 ......つづく。
■行司免遺跡。
■嵐山町のweb博物誌「丘陵人の叙事詩」から勝手に持ってきたイラスト。
走った大体のラインと場所を赤字で追加しました。
所有のガイドブックに載っていない古墳の有り無しや、
その位置も含めた基本情報、見つけた古墳の同定情報などは、
埼群古墳館 様より得ております。Powerd By であります。
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■西原古墳群6号墳?
東松山市の北東端でほとんど嵐山の場所であります。
嵐山町の寺山古墳群のエリアと言ってもいいくらい近接しております。
■残っているかもしれない西原古墳群7号墳を探して、
住宅地をウロウロしましたが、見つかりませんでした。
ここは不思議に開発されていない一角。
■国立女性教育会館。
いままで敷地内に入ったのは数えるほどであります。
■広い敷地で、段丘に建てられているので、眺めがよいのであります。
■敷地内にある寺山1号墳。西側から。
■南東側は藪がひどく、近づいてもはっきりしないのでありますが、
こちら側からは高さを感じました。
■それから、また山王古墳群に行って、
「オオムラサキの森」下部に隣接する「蝶の里公園」。
このまま車道を下れば、都幾川の桜堤であります。
■冬枯れで見通しのいい、気持ちのいい公園を、
自転車を押してテクテク歩き、
■山王古墳群14号墳。
写真ではよくわかりませんが、肉眼では高さがありました。
この東側に13号墳があって、やはり肉眼ではわかるのでありますが、
撮れた写真はただの笹薮にしか見えなかったので、省略しました。
■14号墳の場所からすぐ、河岸段丘の傾斜がきつくなっております。
先に見える田んぼに下り、右奥に見える尾根に回り込んで、
石堂古墳群に行きました。
■石堂古墳群1号墳。
■石堂古墳群2号墳。
■墳頂にある石は葺石だろうか。
3号墳も肉眼ではわかりましたが、写真ではただの藪でありました。
■石堂古墳群から戻る道。
大平山がきれいに見えました。
■橋をわたり、都幾川の右岸。
いわゆる都幾川の桜堤であります。
■行司免遺跡。
ピラミッド型の鉄骨は井戸跡で、その隣に案内版。
今は、飼料用?のトウモロコシ畑になっております。
右奥の赤っぽい建物は、先の国立女性教育会館。
■井戸跡。
■案内板。
乾いたふかふかの畑の土で、靴がすごいことになりました。
その後、大蔵館跡から笛吹峠に向かう登り坂を500mほど上がって、
■粟津ヶ原古墳7号墳。
■裏から。
粟津ヶ原古墳群はS34(1959)の時点では、
小円墳が7基あったということでありますが、道路工事などで、
今は2基だけ存在するということであります。
羽黒塚と呼ばれていた古墳があったということなので、
この7号墳はそうなのかもであります。うーむ。
にしても、今まで単に気持ちがいいからと選んで走っていた道でありますが、
また違った気分で走れて楽しいのでありました。
風が弱くて、暖かい日でありました。
古墳を見に嵐山に向かったのであります。
■梅を見て、
■同姓塚1号墳。この民家の庭先の径15mの円墳を見て、
■沼を見て、
■二股のクヌギの先、崖の上でありますが、樹木が切られ、
都幾川の桜堤がより高い位置から見えるようになっておりました。
■そこから望遠でお馬さん。
■石室が立派な嵐山の稲荷塚古墳にも行きました。
■北西側から。
緩い傾斜地に径20mの円墳のしっかりとした大きさであります。
■現地案内板。
■それから、鎌倉街道に行って。
「伊昔鎌倉街道菅谷」と書かれた石碑はS33建立とのことであります。
■案内板。
ここは鎌倉街道の遺構があり、また「オオムラサキの森」でもあり、
「山王古墳群」でもある、なかなかに盛りだくさんの場所なのであります。
上のリンク先で「落ち葉についた幼虫を探す児童」という写真がありますが、
そこには古墳もきっちり写っております。うみゅ。
■ほぼ同じ場所に並ぶ案内板。
■見通しの良い林に山王古墳群のうちの2基。
■そのあとは、東昌寺古墳2号墳。
なにやらたくさん建っていて、言われなければ古墳とはわかりません。
■東昌寺古墳1号墳。
■「埼玉の古墳」によると、東昌寺の墓地にあるので、原形を保っていないが、
径16mの円墳ということであります。
ただ実際に墳丘に登り、おりて裾から見上げてみると、
もっと大きかったのではという印象であります。
また、東上線の武蔵嵐山駅から、この東昌寺にかけて、
数多くの古墳があったということですが、
その数百メートルの間の古墳については、何もわからないということであります。
■眼が痒くなるので目薬をさしながら、竹林を通って帰ってきました。
古墳を見に嵐山に向かったのであります。
■梅を見て、
■同姓塚1号墳。この民家の庭先の径15mの円墳を見て、
■沼を見て、
■二股のクヌギの先、崖の上でありますが、樹木が切られ、
都幾川の桜堤がより高い位置から見えるようになっておりました。
■そこから望遠でお馬さん。
■石室が立派な嵐山の稲荷塚古墳にも行きました。
■北西側から。
緩い傾斜地に径20mの円墳のしっかりとした大きさであります。
■現地案内板。
■それから、鎌倉街道に行って。
「伊昔鎌倉街道菅谷」と書かれた石碑はS33建立とのことであります。
■案内板。
ここは鎌倉街道の遺構があり、また「オオムラサキの森」でもあり、
「山王古墳群」でもある、なかなかに盛りだくさんの場所なのであります。
上のリンク先で「落ち葉についた幼虫を探す児童」という写真がありますが、
そこには古墳もきっちり写っております。うみゅ。
■ほぼ同じ場所に並ぶ案内板。
■見通しの良い林に山王古墳群のうちの2基。
■そのあとは、東昌寺古墳2号墳。
なにやらたくさん建っていて、言われなければ古墳とはわかりません。
■東昌寺古墳1号墳。
■「埼玉の古墳」によると、東昌寺の墓地にあるので、原形を保っていないが、
径16mの円墳ということであります。
ただ実際に墳丘に登り、おりて裾から見上げてみると、
もっと大きかったのではという印象であります。
また、東上線の武蔵嵐山駅から、この東昌寺にかけて、
数多くの古墳があったということですが、
その数百メートルの間の古墳については、何もわからないということであります。
■眼が痒くなるので目薬をさしながら、竹林を通って帰ってきました。
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