風が弱くて、暖かい日でありました。
古墳を見に嵐山に向かったのであります。
■梅を見て、
■同姓塚1号墳。この民家の庭先の径15mの円墳を見て、
■沼を見て、
■二股のクヌギの先、崖の上でありますが、樹木が切られ、
都幾川の桜堤がより高い位置から見えるようになっておりました。
■そこから望遠でお馬さん。
■石室が立派な嵐山の稲荷塚古墳にも行きました。
■北西側から。
緩い傾斜地に径20mの円墳のしっかりとした大きさであります。
■現地案内板。
■それから、鎌倉街道に行って。
「伊昔鎌倉街道菅谷」と書かれた石碑はS33建立とのことであります。
■案内板。
ここは鎌倉街道の遺構があり、また「オオムラサキの森」でもあり、
「山王古墳群」でもある、なかなかに盛りだくさんの場所なのであります。
上のリンク先で「落ち葉についた幼虫を探す児童」という写真がありますが、
そこには古墳もきっちり写っております。うみゅ。
■ほぼ同じ場所に並ぶ案内板。
■見通しの良い林に山王古墳群のうちの2基。
■そのあとは、東昌寺古墳2号墳。
なにやらたくさん建っていて、言われなければ古墳とはわかりません。
■東昌寺古墳1号墳。
■「埼玉の古墳」によると、東昌寺の墓地にあるので、原形を保っていないが、
径16mの円墳ということであります。
ただ実際に墳丘に登り、おりて裾から見上げてみると、
もっと大きかったのではという印象であります。
また、東上線の武蔵嵐山駅から、この東昌寺にかけて、
数多くの古墳があったということですが、
その数百メートルの間の古墳については、何もわからないということであります。
■眼が痒くなるので目薬をさしながら、竹林を通って帰ってきました。
古墳を見に嵐山に向かったのであります。
■梅を見て、
■同姓塚1号墳。この民家の庭先の径15mの円墳を見て、
■沼を見て、
■二股のクヌギの先、崖の上でありますが、樹木が切られ、
都幾川の桜堤がより高い位置から見えるようになっておりました。
■そこから望遠でお馬さん。
■石室が立派な嵐山の稲荷塚古墳にも行きました。
■北西側から。
緩い傾斜地に径20mの円墳のしっかりとした大きさであります。
■現地案内板。
■それから、鎌倉街道に行って。
「伊昔鎌倉街道菅谷」と書かれた石碑はS33建立とのことであります。
■案内板。
ここは鎌倉街道の遺構があり、また「オオムラサキの森」でもあり、
「山王古墳群」でもある、なかなかに盛りだくさんの場所なのであります。
上のリンク先で「落ち葉についた幼虫を探す児童」という写真がありますが、
そこには古墳もきっちり写っております。うみゅ。
■ほぼ同じ場所に並ぶ案内板。
■見通しの良い林に山王古墳群のうちの2基。
■そのあとは、東昌寺古墳2号墳。
なにやらたくさん建っていて、言われなければ古墳とはわかりません。
■東昌寺古墳1号墳。
■「埼玉の古墳」によると、東昌寺の墓地にあるので、原形を保っていないが、
径16mの円墳ということであります。
ただ実際に墳丘に登り、おりて裾から見上げてみると、
もっと大きかったのではという印象であります。
また、東上線の武蔵嵐山駅から、この東昌寺にかけて、
数多くの古墳があったということですが、
その数百メートルの間の古墳については、何もわからないということであります。
■眼が痒くなるので目薬をさしながら、竹林を通って帰ってきました。