2016/04
■青塗りつぶしは森林公園、赤塗りつぶしは三千塚古墳群。
今回はだいたい黄色のエリアであります。
■自宅から森林公園に向かう道の、
ほんとに何度も通っている道脇の、細い尾根の上に、
長淵古墳群の2基があるというのを知ったのですが、
それらしいものは見当たりませんでした。
■登ってみると、わずかな比高であっても、
眺めがいいのであります。奥の森が森林公園。
■尾根の上に畑があって、軽トラが通るのでありましょう。
藪になっていないのがありがたいのであります。
■細長く分布する「市の坪古墳群」の南端。
道を挟んだ林の中に、13号墳と14号墳の2基の名残を探しましたが、
それらしいものはやはり見当たりませんでした。
■写真ではわかりにくいのでありますが、
耕された畑から、水蒸気がもくもくとしているのでありました。
自転車の先に、市の坪古墳群9号墳かもしれない盛り上がりがありました。
■奥にまわりこんで東側から。
■これは市の坪古墳群6号墳だろうか?
■市の坪1号墳が載っていたと思われる丘の上から、ゴルフ場の眺め。
■その丘の上の、庭木の畑?の中にある低い円状の盛り上がりは、
市の坪古墳群1号墳なのだろうか?
■狭いエリアに21基も密集していた棘山古墳群でありますが、
1基も確認できずであります。
■これは新屋敷1号墳だろうか?
■それともこれだろうか?
それとも、消滅しているという記号の古墳なので、
墳丘はもうなくなっているで、やっぱりいいのだとうか。
して、自転車を立て掛けた場所は、ひとつ前の写真と同じ場所であります。
■神光谷(しんこうやつ)古墳群1号墳。
聖ルカ教会敷地内ということでありますが、
土地の名前とマッチしているなぁと思うのでありました。
■丘陵端でありますので、
木々の間から北側(写真右側)の展望が広がっているのであります。
■五反林古墳群1号墳。
残念ながら「ごたんばやし」と読むのだそうです。
■周りからはよく見えないのでありますが、
登ってみると、鬱とした林の中に、
思いのほかしっかりとした高さと、大きさがある古墳であります。
■塚の可能性があるという光福寺裏1号墳。
そう言われてから見てみると、東(写真では右手)に伸びる傾斜が、
竹林の中の土手のような盛りと繋がっているようにも見えるのであります。
■とうかん山古墳。墳長74mの中型でありますが、
付近では大きなしっかり残る前方後円墳であります。
■ひとつ前の写真は、赤矢印あたりから撮っております。
■とうかん山古墳の前方部。
■赤い鳥居が、賢木岡(かたぎおか)西古墳群5号墳。
「埼玉の古墳」によると、この賢木岡にあった古墳から、
明治32年に、顔面に赤彩が施された人物埴輪の頭部二つが発見され、
根岸家に収蔵されたが、現在の所在は不明だということであります。
うみゅ。
■民家の裏に賢木岡西古墳群2号墳。
この周辺であと二か所ほど見たい場所があったのですが、
実は、ここでカメラもってうろうろしていたら、
竹の子泥棒と間違われて怒られてしまったので、
謝ってから退散したのであります。
お騒がせして、大変申し訳ないのでありました。
時期が過ぎたら、また見に行きたいのであります。
■阿諏訪野古墳。
阿諏訪野古墳群として、たくさんの古墳があったということでありますが、
残っているのは、この1基と次の楓山古墳だけということであります。
■楓山古墳。
前方後円墳と推定されているということでありますが、
現在は土盛りのような墳丘が耕作地の中に裸でポツンと、
よく残っているものだと感心せずにはいられないのであります。
このあたり、緩やかに平野まで続く傾斜地でありますが、
かつては何基もの前方後円墳があって、
とても興味深いエリアであります。
中央左奥のもっこり木立は甲山古墳。
■そこに来ました。
あの、全国4位の平面サイズを誇る径90mの甲山古墳であります。
■小山にしか見えない甲山古墳の墳頂から。
■ガグァンガグァンと階段を下りるの道でありますが、
ここを上りきって、ちょい左の小道に入れば、
■奥の稲荷社の下が、吉ケ谷1号墳。
ギリギリのところでゴルフ場にならずに済んだ場所であります。
■鴻の面古墳群の1号墳のあたり。
かつて10基あったとされる古墳群でありますが、
今はゴルフ場であります。
■北の前1号墳。
以前オフ会でも走った藪を抜けた先の道でありますが、
その時は古墳だとも知らずにおりました。
今回走った黄色のエリアの古墳は、かつて少なくとも、
130基はあったということだと思うのですが、
確実にそれだと思うものは、10基程でありました。
予備がなかったので、電気屋さんに買いに行きました。
■土手に上る細道。
■無事に買い物して、ついでに洗濯機のパンフレットなんかも、
もらってきました。
■のんびりの帰り道。
■箭弓神社のぼたん園に寄り道しました。
■樹齢推定250年以上という藤。
■出店の奥に急拵えの小上がりというのか広めの座敷があって、
何組かがくつろいでいるのが見えるのであります。
すぐに小腹が反応するのでありますが、
ちょっと我慢して帰宅でありました。
■赤塗りつぶしが、三千塚古墳群の範囲。
青塗りつぶしは、森林公園。
三千塚古墳群は、なかなかに広いのであります。
■拡大。
三千塚古墳群の古墳の数は、藪に埋もれて不正確な支群があるし、
発掘調査によって新たに発見されたものがあったりと、
確定できないところのようであります。
1994年の報告書では、以下のようになっております。
第1支群--16基
第2支群---1基
第3支群--32基
第4支群---0基
第5支群--19基
第6支群---3基
第7支群--28基
第8支群--19基
第9支群---3基
------------------------------------
総数-------121基
それに雷電山古墳を足して122基であります。
2012年の資料(ベースは1962年の中間報告書)では、
第2支群は10基ほど確認されたが造成地外で発掘はしていないとあり、
第4支群も10数基あると想定されるが藪がひどくて、
正確には不明とあり、
消滅した第6支群には、藪の中に10基ほどあったということで、
先の121基に、これらを足して、総数150基前後というところでありますか。
この数は、第1支群の現地にある案内板とも合致するところであります。
■これ。
また、2012年の資料では、周辺の字で呼ばれる古墳群も、
三千塚古墳群の分布域と考えても差支えないとのことで、
それを含めると総数250基内外という数であります。
「埼玉の古墳」でも、約250基ということになっております。
周辺の古墳とは、市の坪古墳群の16基、棘山古墳群の21基、
比丘尼山横穴墓40~50基などなどであります。
※1994年の報告書
『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.
※「埼玉の古墳」
塩野博(2004) 『埼玉の古墳:比企・秩父』 さきたま出版会.
※2012年の資料
『三千塚古墳群・発掘調査の概要』 東松山市教育委員会(201203)
して、ゴルフ場建設でごそっと消滅したのはそうなのでありますが、
だとしても、現存する墳丘は何基あるのかという興味であります。
■まずは、比丘尼山横穴墓の裏側に回り込んで、
ごっそり消滅した第8支群で唯一残っているかもしれない、
19号墳を探しましたが、それらしいものは見当たりませんでした。
■右の串引沼の奥に見えているフェアウェイが第7支群。
左の奥が第8支群。
■無慈悲な坂道を登って雷電山古墳に来ました。
案内板の裏側はゴルフ場であります。
■雷電山古墳。
■雷電山古墳を西側から。左が前方部。
■雷電山古墳を北東側から。右が前方部。
■雷電山古墳の前方部のエッジから、奥に後円部。
■雷電山古墳の墳頂から前方部。
くびれがあって、三味線のバチのように広がっているように見える。
■「埼玉の古墳」から。
三段築成で、盛土は後円部最上段のみで、
あとは地山の凝灰岩層を削って作っているというから、
すごいと感心するのであります。
して、図の左、雷電山古墳の中心線の延長にある二重丸は、
第5支群1号墳かしらと思って、当日のトラックを重ねて見たのが、
以下であります。
■確かに。
しかし、これは興味深いのであります。
三千塚古墳群の中心に位置する、とても大きな雷電山古墳でありますが、
三千塚古墳群とは隔絶の時間がある。
それなのに、偶然とは思えないこの配置であります。うーみゅ。
■雷電山古墳の広い墳頂には大雷神社社殿。
■して、三千塚古墳群の供養碑はありました。
雷電山古墳から道を挟んだすぐそば。
今はゴルフ場の駐車場になっている第5支群の中で、
唯一残っていると思われる1号墳にありました。
※2012年の資料では、1号墳は前方後円墳の秋葉塚古墳を指していて、
そこがちょっと紛らわしい。
■表には「三千塚供養塔」と書かれております。
裏には、ゴルフ場の名前で1964年建之とありました。
■周辺の丘陵に比べ、標高が少し高いので、
この第5支群1号墳からの眺めはすこぶる良いのであります。
■第2支群1号墳。
ここから南方向の藪の中に10基あったということですが、
もう消滅したのか、とにかく藪で、
道路からは何も見えないのであります。
■第1支群と第2支群の中間にある大岡小学校の、
道を挟んだすぐ北側の疎林にあるのは、やっぱり古墳だろうか。
■第1支群13号墳。
■第1支群11号墳。
■第1支群10号墳。立地もそうですが、特に墳丘に高さを感じました。
■第1支群3号墳と思われる、右端のなんとなくの盛り上がり。
■第1支群の発掘調査時に見つかった367号墳だと思われる墳丘。
■第1支群2号墳。
■第9支群のエリア。
■第9支群2号墳。
■第9支群1号墳と思われる盛り上がり。
■第4支群のエリアにあったゴミ置き場。
古墳に見えなくもないのであります。
■この道の左右に第3支群21号~24号の4基を探しましたが、
それらしきものは、一つだけでありました。
■それ。第3支群23号墳と思われる低い墳丘。
■第3支群21号墳が右にあると思われる場所であります。
お馬さんはここでUターンであります。
■先日も見た第3支群33号墳と思われる盛り上がり。
■33号墳から北に30mほどにある第3支群32号墳と思われる盛り上がり。
円形の盛り上がりの中央寄りが凹んでいると見えるのであります。
今回見て回ったのは、基本9支群のみで、分母は150基であります。
同定に不安が残るものがいくつかありますが、
墳丘が残存するのは、雷電山古墳を含めて14基というのが、
今回の結果でありました。
小用の合間に三千塚古墳群をサイクリングしました。
桜と雑木林の芽吹きの時期の丘陵グルグルともいうであります。
■風はありましたが、よく晴れて暑いくらいなのでした。
■まずは、発掘調査団が夏季に30日以上も連泊したという、
宗悟寺に行ってみました。
コンビニもインターネットもない時代、
どんな日々だったのかと想像するのであります。
■お地蔵さんを見て、
■比丘尼山横穴墓群に向かう道。
■短いけれど、整備されて気持ちのいい道。
■案内板。
密な篠竹が刈られている箇所があるので、
少し登って、穴にたどり着けるのであります。
■それ。
他には、開口しているのが数基あって、
とにかく全部では40~50基あるらしいのでありますが、
篠竹がほんとにびっちりで、一歩たりとも進めない感じであります。
■通りかかった犬の散歩の老夫婦と少しお話ししたのであります。
興味深かったのは、ここに コ ジ キ が住んでいた時もあったというお話しで、
狭かったでしょうねとお聞きしたら、
昼間はうろうろして食べ物をもらい、ここはねぐらだけということでありました。
■荒神社上部から。
これより上はゴルフ場で立ち入れないのでありますが、
この斜面と尾根には、かつて第8支群として、
前方後円墳を含む古墳群が広がっていたのであります。
■芽吹きの時期であります。
■舞い散る桜。
■雷電山古墳。
全長86mの帆立貝式前方後円墳。
右が後円部、左が低い前方部であります。
■ゴルフ場の駐車場。
ここには、かつて第5支群として、、
前方後円墳を含む古墳群が広がっていたのであります。
■その第5支群で唯一残っている1号墳と思われる墳頂からの眺め。
■桜の花びらの道の右には、その1号墳。
■第1支群の配水場内に残る古墳を眺め、
■第9支群の藪を歩き、
■第4支群に向かう、農林公園の上り坂で桜を眺め、
■食い込む木を眺め後、帰途につくのでありました。
■帰り道、時々買う、野菜の無人直売所によりましたが、
農家の方がいらしたので、対面販売でありました。
ついでというかそっちがしたかったというか、
三千塚古墳群の東側あたりまで、足を伸ばしたのであります。
■公園の桜。
■図書館の手前。
■それで、図書館にも寄ってこの本も借りてきました。
三千塚古墳群の中核部の、ゴルフ場建設に伴う発掘調査は、
1961年のことでありましたが、その時にまとめられた中間報告後、
50年以上を経て、再度まとめられた責任感を感じる報告書であります。
発掘調査は1961年の7月から8月にわたる34日間。
盛夏の中で行われたのでありますね。
発掘調査団は、60名が大谷地区の妙安寺と宗悟寺に分宿し、
また、周辺の中高生も多く参加したとのことであります。
『埼玉の古墳』全5巻の塩野博も、その「あとがき」で、
大学一年の夏にこの発掘調査に携わり、
それが古墳興味への萌芽であったと書いております。
当時、ゴルフ場建設予定地以外は調査対象外でありましたが、
その後、第1支群での配水場建設に伴う1995年の調査についても、
この報告書に合わせて記載があるので便利であります。
■左に曲がれば雷電山古墳でありますが、右に曲がりました。
■配水場のゲートの前にある第1支群の案内板。
■配水場敷地内の南側に、小さい円墳がいくつか残っております。
■配水場ある尾根を回り込んだ北側の桜。
■沼を回る道。沼の名前は「天皇沼」であります。
この沼あたりから北に丘を登れば、第3支群の東端であります。
第3支群は、そのほとんどが削平されて、
一部残存という分布記号の古墳ばかりでありますが、
山林にもなっているので、雰囲気だけでも味わいたいと、
向かったのでありますが、廃業した(たぶん)ラブホテルの北側の、
樹林の中に、もっこりとしておりました。
■これ。
第3支群の南端の、33号墳と思われる墳丘。
分布図より40mほど南東にあるので、違うのかもでありますけれども。
■墳頂。
主体部が陥没していると思われる、よくある窪みがありました。
■墳丘径15mくらいで、円形をとどめているように見えるし、
周堀も残っているように見えるのであります。
三千塚というのは、固有名であります。
また、古墳単体でも、中心でひときわ大きい雷電山古墳と、
前方後円墳3基は、弁天塚、秋葉塚、長塚という固有名であります。
「ここは、えれぇたくさん塚があっぺよ」
「んだ。百、二百はあっと」
「ほかにも、入りくんだ小さい丘の尾根にも古墳はあっぺ」
「んだ。それも入れたら、このあたりで千や二千は下らねぇべ」
「んだば三千か!」
「んだ、三千だ」
的なでありましょうか。
それから、三千塚古墳群供養碑があるというのを、
この方の記事で知りました。
■その写真。
今のところ、三千塚古墳群についての興味は以下であります。
・残存する墳丘は何基なのか?
・三千塚古墳群供養碑は今もあるのか?
・第4支群は今どうなっているのか?
・雷電山古墳から空白の100年を経て、
再び活発に古墳が作られたのは出戻りなのか?
前記事 森林公園内の古墳群探訪(12) まとめ の、
三千塚古墳群のポコポコの続きであります。
丘陵をグルグルと、細い道も入り込んでサイクリングした時に、
たまたま見つけた名も知らない小さな古墳を、
それは藪に埋もれていたり、半分崩れていたりでありますが、
帰ってから調べてその名を知る、
これは私にとって密かな楽しみでありました。
■古墳と私と自転車と畑の人が写っている、お気に入りの写真であります。
撮影:taboomさん(2015/5/1)※写真を勝手に持ってきちゃいました。
古墳は、三千塚古墳群第2支群の1号墳であります。
中小型の前方後円墳3基を含め250基以上あったとされる、
関東屈指の群集墳である三千塚古墳群でありますが、
ゴルフ場建設等でその全くほとんどは消滅したのであります。
この古墳は、奇跡的に残るいくつかの古墳のうちの1基。
そんな事を知ってからは、この古墳を見る気持ちが違うのであります。
■昭和23年のこの写真だと、赤矢印の方向と距離で、
この古墳を見ているのであります。
■現在のgアース。
第5支群は駐車場になっております。
■この串引沼のほとりは、トイレも自販もないですが、
休憩にはいい場所であります。
撮影:taboomさん(2012/11/20)※写真を勝手に持ってきちゃいました。
下の昭和23年の空中写真では赤丸の場所であります。
■赤丸の地点。
三千塚古墳群 第8支群のポコポコが、
まさに目の前に広がる場所でありました。
赤矢印は、次の写真で走っている位置と方向であります。
■これ。(撮影:2011/12月)
左手の谷津田の先には、累々と古墳が並んでいたのであります。
■現在のgアース。
荒神社となっている場所は、
■これであります。(撮影:2014/11/29)
森林公園内の古墳を見るために歩き回っておりましたが、
1994年の報告書に記載の71基(完存もしくは半壊とされ、
墳丘が確認できる可能性があるのはそのうちの66基)のうち、
確認できたのは49基でありました。
あと1~2基は、別の機会に追加で確認できるかもであります。
公園内の多くの古墳は、木立と密な篠竹の藪に隠されていて、
数メートルの距離に近づいたとしても見えないということがあるし、
凝灰石が露出している等の補足情報についても、
たっぷりの落ち葉に表面が覆われているので、全くわからないのでありました。
ただ、整備された新旧の道が縦横無尽に通っているので、
古墳群へのアプローチは確保されているのであります。
それが森林公園内古墳のいいところだと思うのでありました。
沼を作り、それを水源にする稲作の発達と、
その沼の水源尾根に群集墳が作られていくといった、
丘陵の後期古墳の雰囲気がわかるような気がしたのでありました。
して、古い空中写真をグリグリと見ていたのでありますが、
興味深いことがありました。
菖蒲沼古墳群のクッキリ感と、
中山古墳群6号墳は前方後円墳なのかの2点であります。
それから森林公園の東側にある、三千塚古墳群の三千と言うからにはの、
ポコポコ具合も目に入りました。
■森林公園の北側半分と菖蒲沼古墳群の位置であります。
出典:国土地理院 「USA-R1242-114」をトリミング。昭和23年(1948/04)撮影。
■その菖蒲沼付近を拡大。縦に並ぶ古墳が写っておりました。
紫玉は、今回GPSデータで判断した位置。
赤玉は墳丘が見当たらずであります。
緑玉は、左側の写真を見て、もう一つあるのかしらと思った箇所であります。
■森林公園の南側半分であります。
出典:国土地理院 「USA-R1242-150」をトリミング。昭和23年(1948/04)撮影。
■おおまかな公園と古墳群の範囲。
■中山古墳群6号墳付近の拡大。
6号墳は大きな円墳で、右斜め下に前方部のようなものが見えるのであります。
他には1号墳の周りに緑玉のようにポコポコが、
6号墳のすぐ左上にも、8号墳の左側にも同じようにポコポコが。
7号墳の左にもポコッとしているのかしら。
にしても、撮影時期が4月ということで、雑木林は葉がない状態で、
地面が見えていると思うのでありますが、丘陵のあらゆるところが、
桑等の耕作地か、手入れの行き届いたリアル雑木林で、
その利用率のすごさだなぁと思うのであります。
それから、公園内の遊歩道は古い道を、
そのまま使っているものがあるというのを知りました。
■森林公園のすぐ右。
丘陵の主である雷電山古墳(墳長76mの帆立貝形古墳)を中心に、
三千塚古墳群が広がるのでありますが、
ポコポコと写っております。
特にポコポコとしている第5と第8を黄色線で囲ってみました。
出典:国土地理院 「USA-R1242-113」をトリミング。昭和23年(1948/04)撮影。
■第5支群。
今はゴルフ場によって、消滅してしまっているのであります。
ただ、下の3連沼の右側に、今でも墳丘がしっかり残る、
三千塚古墳群の第2支群1号墳が見えております。
■第8支群。
丘陵の中心だったと思われるこの三千塚古墳群と、
森林公園内の古墳群は、同じ風俗だったと思うのでありますが、
どのような人々だったのかしらと、興味は尽きないのであります。
※1994年の報告書
『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.
※補足情報
塩野博(2004) 『埼玉の古墳:比企・秩父』 さきたま出版会.
森林公園内の古墳群
森林公園内の古墳群探訪(1) 雰囲気編
森林公園内の古墳群探訪(2) 菖蒲沼古墳群
森林公園内の古墳群探訪(3) 追山沼古墳群
森林公園内の古墳群探訪(4) ゴエモン塚古墳群
森林公園内の古墳群探訪(5) 後谷古墳群
森林公園内の古墳群探訪(6) 再び 雰囲気編
森林公園内の古墳群探訪(7) 西山古墳群
森林公園内の古墳群探訪(8) 糟沢古墳群
森林公園内の古墳群探訪(9) 栗谷古墳群
森林公園内の古墳群探訪(10) 中山古墳群
森林公園内の古墳群探訪(11) 再び後谷古墳群から山田城跡
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