451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

2016/03

森林公園内の古墳群探訪(2) 菖蒲沼古墳群

森林公園内の古墳群
森林公園内の古墳群探訪(1) 雰囲気編

477f6561

・菖蒲沼古墳群 5基
 補足:なし。

P1420343
■アプローチは気持ちがいいのです。
 この道の右手の樹木の中に、3号墳、4号墳、5号墳が並んでおります。
 左手には2号墳があるはずでありますが、
 ササ原が広がるだけで、墳丘は見当たらずでありました。

P1420318
■1号墳。

P1420320
■3号墳。南から。
 群の中では一番大きいでしょうか。

P1420324
■3号墳の墳丘。

P1420326
■3号墳。北から。
 大きくはないけれど、小さくもない。
 しっかりと高さの残る古墳であります。

P1420336
■4号墳。西から。
 指を引っ込めての写真もあるのでありますが、
 墳丘の形はこれが一番わかりやすいのでありました。うー。 

P1420338
■5号墳。
 4号墳は北側が、5号墳は全体的に藪に覆われて、
 墳丘を撮ってもはっきりしないのであります。
 2005年の昇寛さんの写真と見比べて見ると、
 下草刈りのタイミングかもでありますが、
 藪は濃いように思うのでありました。

 菖蒲沼古墳群の疑問
 1.完存マークの2号墳は、しかしその推定地に墳丘は見当たらなかった。
   道や建物のために削られたというような位置ではないと思われるので、
   どうしたことなのだろうか?
     ※●:完存 良好に保存されていて、高さも保たれ、側面の破壊が3割以下。
 2.遊歩道が古墳のすぐそばを通っているのであります。
   立て看板でもあれば、おっ古墳か!と興味を引くかもでありますが、
   何もないのであります。どうして何もしていないのだろうか?
   公園の意向にそぐわないからなのかしら?
   それとも、この疑問はそもそも変なのかしら?うーみゅ。
   たくさんある谷津田の沼には、名前が書かれた立て看板があるし、
   沼めぐりなどというちょっと楽しそうな散策コースの設定もあるのに。
   古墳めぐりとかいうコースがあったら、私はダッシュでありますが、
   それは一般的ではないのかしら?うーみゅ。

森林公園内の古墳群探訪(1) 雰囲気編

早速、古墳を見に森林公園に行ったのであります。
自転車で回ろうとも思いましたが、探して歩いている時間が多そうだし、
その間、どこかに鍵をかけて置いておかなくちゃだし、
またそこに戻らなくちゃいけないしで、のっけから歩いて回りました。
ただ、自転車で行けば良かったかもと後から思うのでありました。

P1420308
■公園内。
 風も弱く、気持ちのいい一日でありました。

sinrin5
■午前中、買い物したりしてたので、入園は11:30。
 中央口から入って、反時計回りにグイッと全部回ろうと思っておりましたが、
 時間に無理があったので、南側4群は次回持越しであります。
 中央口から、菖蒲沼古墳群まで移動約30分。
 菖蒲沼古墳群では約30分ガサガサして、
 追山古墳群では約1時間30分ガサガサして、
 そこからゴエモン塚古墳群まで、休憩をしながら約1時間歩いて、
 後谷古墳群では30分ガサガサしていたら、16時近く。
 残りはあきらめて、中央口に戻ったのでありました。
 朝一番で入園していたら、もしくは移動を自転車で短縮できたら、
 全部回れたかもであります。

P1420312
■向こうから歩いてきて、ゲートの脇を抜け、振り返ったら、
 この句読点が微妙な注意書きがありました。
 うみゅ。

P1420315
■右手の先に菖蒲沼古墳群。
 左のサイドが白線の細い道は、サイクリングコースであります。
 以前何周もしたので、どのあたりはすぐにわかるのでありますが、
 サイクリングコースが見えない場所は、新鮮に感じるのでありました。

P1420342
■して、確かに古墳はありました。
 公園として整備される前から、周囲は雑木林だったのだと思うのですが、
 かっちりと形が残っているのであります。

P1420389
■公園の北口近くの散策路は、人もまばらで、
 冬枯れの静かな低山をハイキングしているような、
 気持ちの良さがありあした。

P1420366
■崖の先の尾根上に古墳群。
 下のトンネル道は、サイクリングコースであります。

P1420399
■落ち葉の気持ちのいい道。

P1420404
■少しだけ鎌倉街道も歩けたのでした。

P1420431
■人気スポットのぽんぽこマウンテンを見おろす丘で、
 この日の探索は終了でありました。

 して、他の人はどうしているんだろうと、気になったことがありました。
 現場では、群集墳であっても、古墳の相対的な位置などで、
 これは何号墳だろうと推定しながら古墳を見ているのでありますが、
 写真を撮っても、後からその写真を見ただけでは、
 それが何号墳かわからないと思われたのであります。

 ある程度は時系列で分かるかもしれないけれど、
 あっちこっち歩き回って、何度か同じ古墳に戻って来て、
 また写真を撮ることもあるし、
 群集墳で古墳の大きさに極端な違いはないし、
 同じように藪に埋もれていて、墳丘には樹木が生え、
 表面は落ち葉に覆われいるし、背景もそう違いはないとすれば、
 写真にマークを入れなければと思ったのであります。

P1420335
■3号墳。
 この後、指なしを、もう一枚撮るであります。

P1420356
■12号墳。
 ぐにゅっとしている時は10いくつであります。
 この古墳は、後に他の古墳を見て、相対的に11号墳だと考えたので、
 指を「ぐにゅ11」にしている写真もあるのであります。
 今は記憶がフレッシュなので区別がつきますが、
 明日になったら混乱するかもであります。

P1420371
私はコレで会社を
 6号墳。
 先と同じで、数日たったら、4なのか6なのか、
 区別が付かなくなるかもなのであります。
 うーみゅ。
 この後から写真だけを見て、それが何号墳かわかるようにするために、
 何かいい方法があるのだろうか?
 片手の指だけで32を数える方法もあるようでありますが、
 グワシも出来ない私には無理なように思えるし、
 そもそも方向が違うような気がするし。

 それから、登れた墳頂でGPSポイント登録しておけば、
 あとからの同定に役に立ったと思うのでありますが、
 今回すっかりそのことは忘れておりました。
 反省であります。
 
 つづく。

 

森林公園内の古墳群

丘陵には古墳がたくさんあるのでありますが、
森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)の敷地内にも、
やはり古墳が残っているのであります。
よく森林公園内のサイクリングコースを周回しておりましたが、
その時は、古墳のことは全く知らなかったのであります。
その後、古墳の現状の様子を、埼群古墳館 様の写真で見て、
実際に見てみたいと思っておりましたが、
あの広い公園内をおおよその位置情報で回るのは、
大変だなぁとも思っておりました。
ただ、先の『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』には、
その分布と位置が記載されておりますので、それを参考に、
効率よく見て回れそうであります。

sinrin
■森林公園の位置。
 比企北丘陵のほぼ中央部、南北に長い公園であります。
 右上には、さきたま古墳群がギリ収まっております。

newmap1tn
森林公園の園内マップ。

sinrin2
■そのマップを重ねた図。
 わかりやすいように端を赤くしております。

森林公園分布
■『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』と園内マップを重ねると、
 公園内に古墳群が8群あるのがわかるのであります。
 公園の周囲も相当に多いのでありますけれども。
 ※線で囲われた内側に、古墳の位置情報がないものは、
  その部分を拡大した地図が別に用意されてるのであります。

sinrin3
■古墳はすべて円墳で、墳丘規模、年代等は不明であります。
 古墳群のほとんどが、谷津田上部の源頭にあたる丘陵のピークに、
 分布しております。
 南から順に、

 ・西山古墳群 12基
  補足:4基が道路工事で破壊。7基に凝灰石が確認されていて、
  主体部は横穴式石室が想定される。
  1基には周溝と考えられるくぼみがあり、その墳丘から埴輪の破片が採集。

 ・中山古墳群 11基 6号墳が前方後円墳の可能性あり
  補足:2基に凝灰石が確認されていて、主体部は横穴式石室が想定される。
  また土師器を出土した古墳もある。

 ・糟沢古墳群 7基
  ?: 『埼玉の古墳:比企・秩父』 では17基の円墳と書かれているが、単純なミスだろうか。
  補足:主体部に凝灰石の横穴式石室が想定される円墳が3基。
  埴輪の存在が確認されているのは2基。
  かつて開墾の際、墳丘のないところで緑泥片岩の箱式石棺が発掘されたが、副葬品は皆無だった。

 ・栗谷古墳群 9基
  補足:比較的大型の古墳を中心に環状に分布。(?:7号墳のことだろうか)
  一部破壊されて凝灰石の横穴式石室が露出しているのが1基ある。

 ・後谷(うしろやつ)古墳群 10基
  補足:主体部に凝灰石の横穴式石室が想定される円墳が3基。
  そのうちの1基である群中最大で、周溝と思われるくぼみがあり、
  かつて埴輪や須恵器が出土した。

 ・ゴエモン塚古墳群 3基 
  公園内の他の古墳群はすべて字からの名称だけれど、この古墳群だけは、
  1号墳の「ゴエモン塚」という固有名があるのが興味ぶかい。
  ?: 『埼玉の古墳:比企・秩父』 では8基の円墳とある。
  補足:2号墳は破壊された断面に横穴式石室と想定される凝灰石が露出している。

 ・菖蒲沼古墳群 5基
  補足:なし。

 ・追山古墳群 14基
  補足:比較的大型の古墳を含む。

 の合計71基が、公園内にあるのであります。
 ※補足は「塩野博(2004) 『埼玉の古墳:比企・秩父』 さきたま出版会.」から

sinrin4
■上図にさらに、自転車で周回していた時の、
 トラック(ピンク色)を重ねたの図。
 あぁ下部右寄りの二つの古墳群を除いて、
 古墳群エリアをがっつり通っております。
 全然気が付かなかったのでありますが、
 やはり見たいと思っていないと目に入らないということでありますか。
 して、これなら自転車でぐるぐるしながら、時々自転車を置いて、
 藪に入る式で行けそうであります。
 うみゅ。

埼玉県古墳詳細分布調査報告書

P1420306
■『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』
   埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会
 埼玉県内の古墳をすべて網羅している本であります。
 一昨年ぐらいから手に入れたいと思っていて、
 オークションのアラートにセットしたり、時々ネットの古本屋情報を、
 チェックしておりましたが、ないのでありました。

 県内のいくつかの図書館にあるのは知っていましたが、
 それらはほぼ「禁帯出」で、県立久喜図書館にある一冊が、
 唯一の「帯出可」なのでありました。
 ※県内の公共図書館の蔵書を一度に検索できる埼玉県立図書館の横断検索システムを利用。
 そのうち久喜に行って借りてこようと思っておりましたが、
 図書館協力ネットワークというサービスがあって、
 最寄りの図書館でリクエストすれば、最寄りまで運んでくれて、
 返却も最寄りでいいということなので、お願いしたのであります。

l-net
■これ。
 最寄りの図書館で、リクエストカードに必要事項を書き込んで、
 お願いしてから待つこと約一週間。
 「届いております」のメールが来たので借りて来ました。
 急いでなければ、なかなか便利なサービスであります。
 して、中身でありますが、分布図と一覧表がメインであります。

IMG_0034
■分布図の抜粋拡大。
 例えば、知りたかった野本古墳群の2、3号墳(消滅)の位置もわかるのであります。
 ○×△のマークは、保存状態を表したものであります。
---------------------------------------------------------------------------------------------
 ●:完存 良好に保存されていて、高さも保たれ、側面の破壊が3割以下。
 ▲:半壊 高さが半分程度、側面の破壊が3割~7割。
 ○:一部残存 7割~ほぼ削平(地下に周堀等が残っている可能性がある)。
 △:消滅 何も残っていない。
 ■:実態不詳 塚の可能性がある。
 □:参考地 墳丘はないが、埴輪などの散布等から古墳があったと考えられる地点。
---------------------------------------------------------------------------------------------

IMG_0042
 
■一覧表の一部抜粋。
 古墳名の左のマークは指定文化財を表しております。
---------------------------------------------
 ◇:国指定史跡
 ◆:県指定史跡
 ▽市町村指定史跡
 ◎:県選定重要遺跡
---------------------------------------------

この調査報告書の目的として以下のようなことが書かれておりました。
埼玉県では、S32(1957)~S40(1964)にかけて、
県内の古墳分布調査をしているとのことでありますが、
その後、新たに発見された古墳も多く、
また近年すすむ各種開発により、破壊、消滅の危機感がある。
そのため、古墳の基礎資料を一層充実させ、
今後の各種開発との調整を図るための、文化財保護事業として、
平成元年(1989)から5年をかけて、
古墳の所在確認の実態調査を行ったということであります。

具体的には、60名以上の地区調査員が足を使って、
5500 弱の古墳の概況調査をし、
そのうち17基を事務局が詳細調査したとのことであります。
概況調査の時期は夏場で、丘陵の児玉、比企、大里あたりは、
ご苦労されたようであります。
S32の頃に比べ、山林の管理状態など土地利用は大きく変化し、
深い下草などで立ち入りが困難で、規模の計測や位置の特定に、
支障があるものがいくつかあったとのことであります。

この調査報告書がまとめられたのは1994。
今は2016ですから、すでに22年経過し、
実態の変化はあるでしょうけれども、
とても貴重な調査報告書だと思うのであります。

下松古墳群の疑問

家から一番近い、墳丘が現存する古墳群は「下松古墳群」なのであります。
先日手に入れた全5巻の「埼玉の古墳」では、
4行ほどの記述がさらっと書いてあるだけの古墳群でありますが、
いわゆる全国2例目の「弓を担ぐ人物埴輪」が下松5号墳から出土した、
古墳群であります。
>3年前の自分の記事
位置は、東松山台地の東端、小さな舌状地形であります。

hiki
■比企の丘陵と台地の概要はこんな感じであります。
 標高差をもっと強調すると、

hikih
■東松山台地が浮き出てきて、

hikih2
■拡大。
 東松山台地が右下に大きく舌状に伸びる場所には、
 野本、柏崎、古凍古墳群があって、
 今回の下松古墳群は、その上の小さく伸びる場所であります。

hiki2e
■だいたいの位置。
 この、家から一番近い、墳丘が残存する古墳がある古墳群である、
 下松古墳群でありますが、いままでそれを確認したことがなかったのです。
 下松古墳群からは川を挟んで、吉見百穴が見えるのであります。
 して、先週の雨が降るかもしれない日曜日の午後、
 歩いて見に行きました。

DSC_0905
■下松古墳群1号墳。径17mの円墳。西側から。
 台地端の傾斜部まで宅地化が進んでいるのですが、
 歩いていると突然視界が開けて、小さく残った畑の奥に、
 ぽっこりとしているのでありました。

DSC_0907
■北側から。

P1420286
■東側が削られて土止めされている。
 ※この写真だけは今日も見に行ったときに撮った写真。

DSC_0908
■下松古墳群2号墳。径12.7mの円墳。
 1号墳からは20mも離れていない場所にあります。
 すぐそばで、畑仕事をされていた方にご挨拶して、
 1号墳を指さして「古墳を見に来ました。」って言ったら、
 「あら、古墳はこっちよ。」と2号墳を指さしたのであります。
 「確かに。でもこっちも(1号墳)も古墳だと思うんです。」って言ったら、
 その方は、1号墳のそばまで行って、
 「あら、確かに古墳のようだわね。こんなにそばなのに気が付かなかったわ」
 とおっしゃっておりました。
 1号墳のあたり、以前は木が多くて、よくわからなかったとか、
 古墳を見て回っているの?とかの会話をしていたら、
 「そういえば、きれいな古墳が、すぐそこのセレモニーホールの玄関前にあるわよ」
 「そっ、そうなんですか! 見に行きます。ありがとうございました。」ってことで、

DSC_0914
■見に来ました。
 わぉ、あるある。
 小さな墳丘と埴輪に案内板。
 あとの資料で分かりましたが、この斎場運営をしている(株)メモリードの、
 好意で設置されているということであります。
 墳丘も埴輪もレプリカでありますが、
 埴輪の雰囲気は実物に近いと感じました。

DSC_09142
■右は「弓を担ぐ人物埴輪」で、
 左は冠をかぶって手招きしている人物埴輪。
 近くの岩鼻古墳群の埴輪に雰囲気が似ております。

DSC_0912
■案内板。
 この案内を読んで、最初の疑問が出てきたのであります。
 古墳跡4基が見つかったのでありますが、
 どこにも下松古墳群とは書いていないのであります。
 全5巻の「埼玉の古墳」では、下松古墳群として、
 「現在、円墳6基が確認されている」とありますが、
 古墳跡4基はそれに含まれるのか?それとも別の古墳群なのか?
 という疑問であります。
 そこで「上松本遺跡」というキーワードでいろいろ検索していたら、
 図書館に調査資料があるのを知ったので、
 早速借りてきたのであります。

P1420304
上松本遺跡(第2次)埼玉県東松山市埋蔵文化財発掘調査報告 2004 東松山市遺跡調査会

IMG
■斜線が第2次調査区域。

g
■今のg写真。

gb
■重ねてみると、東松山メモリードホールの建物域が、
 まるまる調査区域ということであります。
 この遺跡は古墳時代~中近世までの出土があるのでありますが、
 古墳跡だけを色分けしたのが下の図であります。

2nd
■下松セブン。
 先の「現在、円墳6基が確認されている」というは、
 墳丘が一部でも残る下松1号墳~3号墳と、
 地面の下におそらく円墳の古墳跡が3基(4号墳~6号墳)あるのがわかっていて、
 この調査で、5号墳は帆立貝形なのがわかって、
 さらに、新たにもう1基(7号墳)が見つかったということで、
 書き換えるならば「現在、帆立貝形1基と円墳6基が確認されている」という、
 そういう理解でいいのだろうか?
 ※下松3号墳、径15mの円墳はすでに削平され地表上には何もないと思われます。

 下松4号墳は、径13.5mの円墳。
 下松5号墳は、墳長22mの帆立貝形前方後円墳。
 下松6号墳は、径13.4mの円墳。
 下松7号墳は、6号墳と同程度の円墳と想定。

 半カットの下松5号墳から出土した人物埴輪は、少なくとも5~6体、
 馬形埴輪は少なくとも4体ということなので、
 にぎやかな古墳であったのであります。
 それにしても、この密度。
 これらの古墳が作られた当時は、やっぱり、
 もっともっと古墳があったのだろうか?というのが今の疑問であります。
 それから、下松5号墳は後円部径と前方部長の比率が3:1で、
 造り出し付き円墳の範疇に含まれるとのことであります。
 この比率をどうするかは論争があるというのを、何かで読んだのですが、
 元が探せませんでした。

USA-R1378-78
出典:国土地理院 「USA-R1378-78」をトリミング。昭和23年(1948)撮影。
 下松4号墳~7号墳は、近世に削平されたわけではなく、
 平安後期にはもう削平されて墳丘が失われていたということであります。
 古墳群の狭いエリアの中で、現在になお墳丘が残存する古墳と、
 そうじゃない古墳があるのは、
 何か理由があるのかしらというぼんやりとした疑問が出てきました。
 例えば、作ったのにすぐに壊されたとか、例えば叩き込みが甘くて、
 大雨で崩れてしまったとか。
 

 疑問まとめ
 1.「現在、帆立貝形1基と円墳6基が確認されている」という理解でいいのか?
 2.古墳跡の密度から、もっと古墳があったと考えていいのか?
 3.前方後円墳なのか円墳なのかを比率3:1で決めていいのか?
 4.早い時期に消滅する古墳は、何か理由があるのか?

野本古墳群の疑問

先週に続き、今週も歩き回っていたのであります。
m3
■東松山台地の、東南に大きく伸びた舌状地形の、
 標高差を強調した図であります。

m4
■古墳群のエリアは大ざっぱにはこんな感じであります。
 野本古墳群は、現状8基ということでありますが、
 4~8号墳は、野本古墳群エリアの東端(右端)にあって、
 柏崎古墳群のおくま山古墳から、300m程度しか離れていないのであります。
 古墳群のエリア分けはどうやって決めているのだろう?というのが、
 一つ目の素朴な疑問であります。

m2
■こんな感じ。
  出典:国土地理院 「USA-R1378-47」をトリミング。昭和22年(1947)撮影。
 古くからの街道の北と南で字が違うということはわかるのでありますが、
 川や谷などで隔てられてはないし、同じ地続きのお隣さんの印象であります。
 もちろん、古墳の作られた年代や、主体部(石室等)の構造、副葬品などによって、
 違う系統とみなす場合もあるしで、「近い」からだけではないのでしょうけれども。
 それから、写真を見ていると、野本将軍塚古墳(野本1号墳)の周囲に、
 古墳が少ないなぁと思うのであります。
 墳長115mの大きな前方後円墳が単独であるのであります。
 全国に5000基以上あるとされる前方後円墳の中でも、
 墳長100mを超える大きな前方後円墳は300基ちょっと。
 そのうちの一つであります。
 比企の丘陵と台地には、古墳時代前期の前方後方墳が多く、
 その集大成としての将軍塚古墳だと思うのでありますが、
 その後、大きな古墳はさきたま古墳群に移っていくということもあって、
 ここにはもう作られなかったということでありましょうか。
 ひょっとしたら沢山あったけれど、記録が残る以前の相当の昔に、
 取り壊されて削平されてしまったということでしょうか。
 野本将軍塚古墳の周囲に古墳が少ないのはなぜなんだろうというのが、
 二つ目の疑問であります。
 ちなみに、写真に何本か写っている拠水林のように帯状に連なる林は、
 耕作地や宅地に利用できなかった傾斜地に残っているものであります。

DSC_0840
■そんな場所の一つ。上写真のC地点。
 比高で5m前後でありますが、
 傾斜がきつく、ガケのようになっている場所もあります。

※所有のガイドブックに載っていない古墳の有り無しや、
 その位置も含めた基本情報については、
 埼群古墳館 様より得ております。Powerd By であります。
----------------------------------------------------------------------------  
DSC_0884
■野本将軍塚古墳(野本1号墳)。
 南北に向いた前方後円墳で、ここは南側の前方部の一端。

DSC_0887
■後円部。小山であります。

DSC_0878
■東側クビれ部から後円部。
 
DSC_0881
■前方部墳丘上には、大きな碑が立っております。
 5mぐらいあるのかしら。
 私、この将軍塚は県内で2番目に大きいと思っておりましたが、
 真名板高山古墳が埋没分を推定して127mになったとかあって、
 現在は県内4番目であるのを最近知りました。

 1.二子山古墳 138m(行田市さきたま古墳群、墳丘推定長)
 2.真名板高山古墳 127m(行田市、墳丘推定長)
 3.稲荷山古墳 120m(行田市さきたま古墳群、墳丘推定長)
 4.野本将軍塚古墳 115m(東松山市、※現状)

 野本将軍塚古墳は、学術調査が行われれば、ひょっとして埼玉県で、
 一番大きくなるかもというのを楽しみにしているのでありますが、
 あと23m以上も大きくなるものなのか。うーみゅ。
 して、どうしてこれだけ大きな古墳が、調査されないのだろうというのが、
 三つ目の素朴な疑問であります。
 なくなる心配がないから後回しなのかしら。
 
P1420212
■雰囲気のある道で台地の上に上がり、

P1420213
■野本古墳群4号墳。
 いかにもそこに古墳があるといった風情であります。

DSC_0875
■木立をくぐって、右が墳丘。
 周壕もまま残っている感じであります。
 平たい墳頂には法華一千部供養などの立派な石碑があります。

P1420215
■了善寺の手入れの届いた道を抜けて、

P1420218
■野本古墳群5号墳。
 フェンス越しに竹林を覗くと、確かに高まりがあります。

P1420238
■野本古墳群6号墳。
 先の5号墳も、この6号墳も、そこにあると知っているので、
 目に入るのでありますが、でなければであります。

DSC_0862
■野本古墳群7号墳。
 道路で北側が削られていて、コンクリで土止めということでしょうか。

P1420228
■裏に回れば、崖の上にあることがわかります。

P1420233
■野本古墳群8号墳。

P1420235
■その8号墳から、先の7号墳を見る図であります。

m2
■先の写真。
 2号墳と3号墳は、正確な場所はわからないのでありますが、
 将軍塚古墳の北側にあったということであります。
 2号墳(久保原古墳)は径32mの円墳ということで、少し大きい。
 3号墳(上入川古墳)は径22mの円墳。
 ただ、この将軍塚古墳の北側を、グルグル歩いていると、
 これは古墳じゃなかろうかというものが、
 いくつかあるのであります。

m1
■道路地図を重ねて。

P1420183
■A地点。
 畑のゴミ捨て場かもであります。

P1420189
■垣根のかげに、

P1420192
■B地点。

DSC_0896
■B地点のそば。

DSC_0900
■やはりB地点のそば。奥の祠。
 その他にもう一か所、より確実な場所が。
 野本古墳群は8基よりもっとあるのではなかろうかというのが、
 4つ目の疑問であります。

疑問まとめ
 1.古墳群のエリア分けはどうやって決めているのだろう?
 2.野本将軍塚古墳の周囲に古墳が少ないのはなぜなんだろう?
 3.これだけ大きな古墳が、未調査なのはなぜだろう?
 4.野本古墳群は8基よりもっとあるのではなかろうか?
最新コメント
記事検索
アクセス数
  • 累計:

プロフィール

cycling451

天気
「livedoor 天気」は提供を終了しました。
  • ライブドアブログ