夏日の暑い一日でありました。
西秩父、城峯山の山麓に点在する耕地(集落)を見たさに、
下吉田から城峯山をクルッと回りました。
■桜と奈良尾耕地。
■城峯山からは、太田部峠にまわり、先日の石間川沿いを、
降りてくる計画でしたが、落石通行止めだったので、
ハードな阿熊川沿いをブレーキ持つ手が痺れながら降りてきました。
■城峯山への登りはやっぱりとても絞られましたが、
山麓に点在する耕地を隔てているのは、谷や尾根でありますので、
そのちょっとしたアップダウンジャブが効いたとは思うのであります。
9時過ぎに出発して、往復30分ほど歩く城峯山山頂は14時。
再び自転車に乗って、40分ほどで出発地点に戻ってきました。
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■下吉田と桜と、奥に武甲山。
■阿熊の谷に入るとすぐ、窪田巡査殉職の碑がありました。
椋神社での武装蜂起前日の最初の戦いでのことであります。
車道から少し上がったところにありますが、
もともとはそこが道だったとのことであります。
■彦久保。
右奥に金岳の岩峰が見えております。
■「天狗の石」を過ぎたあたりから振り返ってみた金岳。
■取り壊しでしょうか。
■横田倉。
■立沢近く。
■上日野沢への分岐を上部から。
帰りに写真を撮った背中側から降りてくることになるのは、
もちろんこの時は知らないのでありました。
■立沢。
■門平に向かうきつい登り。
■門平を西側から。
■門平の高札場。
S48に復元工事されるまで、江戸時代からのものが立っていたらしいと、
案内板には書いてありました。
■小前の八坂神社。
武装蜂起の日時を決めた小前会議が行われたとされる場所であります。
彫られた名前もありました。
■小前耕地上部。
■秩父華厳の滝。
狭い谷に、とにかく大きいものでした。
■滝の上から。下に寝そべっている人が見えました。
この手前で、少し国神方面に下ると重木耕地の入口ですが、
次の楽しみとして、ここからいよいよ城峯山に向けて、
奈良尾峠の登りに入ったのであります。
つづく。
西秩父、城峯山の山麓に点在する耕地(集落)を見たさに、
下吉田から城峯山をクルッと回りました。
■桜と奈良尾耕地。
■城峯山からは、太田部峠にまわり、先日の石間川沿いを、
降りてくる計画でしたが、落石通行止めだったので、
ハードな阿熊川沿いをブレーキ持つ手が痺れながら降りてきました。
■城峯山への登りはやっぱりとても絞られましたが、
山麓に点在する耕地を隔てているのは、谷や尾根でありますので、
そのちょっとしたアップダウンジャブが効いたとは思うのであります。
9時過ぎに出発して、往復30分ほど歩く城峯山山頂は14時。
再び自転車に乗って、40分ほどで出発地点に戻ってきました。
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■下吉田と桜と、奥に武甲山。
■阿熊の谷に入るとすぐ、窪田巡査殉職の碑がありました。
椋神社での武装蜂起前日の最初の戦いでのことであります。
車道から少し上がったところにありますが、
もともとはそこが道だったとのことであります。
■彦久保。
右奥に金岳の岩峰が見えております。
■「天狗の石」を過ぎたあたりから振り返ってみた金岳。
■取り壊しでしょうか。
■横田倉。
■立沢近く。
■上日野沢への分岐を上部から。
帰りに写真を撮った背中側から降りてくることになるのは、
もちろんこの時は知らないのでありました。
■立沢。
■門平に向かうきつい登り。
■門平を西側から。
■門平の高札場。
S48に復元工事されるまで、江戸時代からのものが立っていたらしいと、
案内板には書いてありました。
■小前の八坂神社。
武装蜂起の日時を決めた小前会議が行われたとされる場所であります。
彫られた名前もありました。
■小前耕地上部。
■秩父華厳の滝。
狭い谷に、とにかく大きいものでした。
■滝の上から。下に寝そべっている人が見えました。
この手前で、少し国神方面に下ると重木耕地の入口ですが、
次の楽しみとして、ここからいよいよ城峯山に向けて、
奈良尾峠の登りに入ったのであります。
つづく。
約700mの登りにわくわくします。
全く知らない土地の道、つづくが無性に気になります。あはは