小鹿野町をグルッとまわり、また下吉田に戻ってきました。
■レンガ作りの武毛銀行本店。
襲撃を受けた金崎の永保社が国神銀行になり、
名称を武毛銀行に変えて、この地でこれを作ったということであります。
当時は今よりさらに周囲から浮いた建物だったと思うし、
場所もなんだか興味深いところであります。
■現地案内板。
■井上伝蔵屋敷跡。
■現地案内板。
■万年橋のたもと。
いよいよ城峯山に続く石間の登りであります。
13時ちょっと過ぎ。
■これは、山を後回し決めて通り過ぎた10時頃。
■石間川に沿って、半根子、沢口、漆木、中郷耕地(集落)と続き、
突き当たって沢戸、右に折れて半納であります。
1時間ちょっとくらいで登れればとゆっくり進みます。
■奥の山の中腹に沢戸耕地が見える場所。
まだまだであります。
■廃校になった旧石間小学校。
まとまった平地の少ない谷あいに、びっくりするぐらい広い敷地と、
立派な建物でありました。
ここは今、資料館として使われております。
入館には予約が必要と事前に調べていたので、
素通りの予定でしたが、玄関ドアが開いているように見えたので、
フラフラと近づいてみたのであります。
■玄関。入館料300円。
誰か入館された方がいて開いているのか、だとしたら、
おまけで中に入れるかもしれないと考えたのでありますが、
しかし、ここにきて小銭を切らしているのを思い出したのであります。
万札ではご迷惑と思い、引き返しました。
■正面に見上げる沢戸耕地。
■迫力であります。
山城のようでもあります。
■とても大きな鳥居。
このあたりから登りがきつくて、押したり乗ったりしながらであります。
■それまでは、集落の人の生活の気配がありましたが、
半納までの登りは、山道になりました。
■登って、
■視界が開け、先の沢戸耕地を見下ろす位置までくると、
■半納耕地であります。
写真ではわかりにくいですが、道路から家に上がる道の傾斜は、
ほんとにすごくて、軽く目まいがしました。
■半納耕地上部。
■ここに自転車を置いて歩きました。
■「堂の尾根」への登り。
傾斜はありますが、一息であります。
■おぉ、あれです。
■おぉ、常夜灯に庚申塔もある。
火の見やぐらは、思い描いていたイメージでは、
もう少しひょろっとしていて、屋根が笠のようで、
しかも少し傾いているのでありますが、がっちりしておりました。
■『写真でみる秩父事件』から
(品川栄嗣・井上光三郎 著 新人物往来社 1982 )
■がっちりと。
■すごい場所にあるものであります。
■やぐらの上には、ウーウーが設置されておりました。
ここで、しばらく周囲を眺めていたのであります。
下は半納耕地。
■やぐらの上から見る横道耕地方面。
以下は印象的な写真。
■『秩父悲歌』 (清水武甲 春秋社 1971)
今から約50年前ごろの写真だと思われます。
万場と鬼石から上がってきた警官隊を奇襲したのは、
先に見える民家のあたりでありますか。
それは今から130年以上前。
■「秩父悲歌」からもう一枚。
ここでは「横道部落」と書かれています。手前の木の裏あたりが、
堂の尾根の火の見やぐらでしょうか。
以前、太田部峠に行ったときは、林道が出来たせいもあり、
もう使われていない峠でありました。
この撮影場所は、大田部峠より秩父側に下った場所からでありますか。
■後は、あっというまに下って道の駅にもどり、野菜を買って、
復元の丸井商店を眺めながら、山菜そばを頂きました。
おいしかったです。
■レンガ作りの武毛銀行本店。
襲撃を受けた金崎の永保社が国神銀行になり、
名称を武毛銀行に変えて、この地でこれを作ったということであります。
当時は今よりさらに周囲から浮いた建物だったと思うし、
場所もなんだか興味深いところであります。
■現地案内板。
■井上伝蔵屋敷跡。
■現地案内板。
■万年橋のたもと。
いよいよ城峯山に続く石間の登りであります。
13時ちょっと過ぎ。
■これは、山を後回し決めて通り過ぎた10時頃。
■石間川に沿って、半根子、沢口、漆木、中郷耕地(集落)と続き、
突き当たって沢戸、右に折れて半納であります。
1時間ちょっとくらいで登れればとゆっくり進みます。
■奥の山の中腹に沢戸耕地が見える場所。
まだまだであります。
■廃校になった旧石間小学校。
まとまった平地の少ない谷あいに、びっくりするぐらい広い敷地と、
立派な建物でありました。
ここは今、資料館として使われております。
入館には予約が必要と事前に調べていたので、
素通りの予定でしたが、玄関ドアが開いているように見えたので、
フラフラと近づいてみたのであります。
■玄関。入館料300円。
誰か入館された方がいて開いているのか、だとしたら、
おまけで中に入れるかもしれないと考えたのでありますが、
しかし、ここにきて小銭を切らしているのを思い出したのであります。
万札ではご迷惑と思い、引き返しました。
■正面に見上げる沢戸耕地。
■迫力であります。
山城のようでもあります。
■とても大きな鳥居。
このあたりから登りがきつくて、押したり乗ったりしながらであります。
■それまでは、集落の人の生活の気配がありましたが、
半納までの登りは、山道になりました。
■登って、
■視界が開け、先の沢戸耕地を見下ろす位置までくると、
■半納耕地であります。
写真ではわかりにくいですが、道路から家に上がる道の傾斜は、
ほんとにすごくて、軽く目まいがしました。
■半納耕地上部。
■ここに自転車を置いて歩きました。
■「堂の尾根」への登り。
傾斜はありますが、一息であります。
■おぉ、あれです。
■おぉ、常夜灯に庚申塔もある。
火の見やぐらは、思い描いていたイメージでは、
もう少しひょろっとしていて、屋根が笠のようで、
しかも少し傾いているのでありますが、がっちりしておりました。
■『写真でみる秩父事件』から
(品川栄嗣・井上光三郎 著 新人物往来社 1982 )
■がっちりと。
■すごい場所にあるものであります。
■やぐらの上には、ウーウーが設置されておりました。
ここで、しばらく周囲を眺めていたのであります。
下は半納耕地。
■やぐらの上から見る横道耕地方面。
以下は印象的な写真。
■『秩父悲歌』 (清水武甲 春秋社 1971)
今から約50年前ごろの写真だと思われます。
万場と鬼石から上がってきた警官隊を奇襲したのは、
先に見える民家のあたりでありますか。
それは今から130年以上前。
■「秩父悲歌」からもう一枚。
ここでは「横道部落」と書かれています。手前の木の裏あたりが、
堂の尾根の火の見やぐらでしょうか。
以前、太田部峠に行ったときは、林道が出来たせいもあり、
もう使われていない峠でありました。
この撮影場所は、大田部峠より秩父側に下った場所からでありますか。
■後は、あっというまに下って道の駅にもどり、野菜を買って、
復元の丸井商店を眺めながら、山菜そばを頂きました。
おいしかったです。
ホントに大迫力です!
私、これを見たらさっさと引き返します。あはは