前記事、花園 うどんと古墳群 で巡った古墳群のひとつであります。
■2006年に、川本町は花園町、岡部町と共に深谷市に合併したので、
今は荒川の南側も深谷市なのであります。
江南町も同じくらいの時期に熊谷市に合併したので、
やはり荒川の南側も熊谷市なのであります。
荒川の南は近頃の大里郡というイメージが強いので、
なんだか変な感じなのでありますが、古くからの大里郡というくくりで見れば、
市町村の結びつきは自然でもあると思うのであります。
して現在、大里郡と付くのは寄居町だけでありましょうか。
■拡大。
荒川中流域の左岸右岸には、鹿島古墳群のように、
100基を超える大規模な古墳群から、数基ほどの小規模な古墳群まで、
数kmおきにほいほいとあるのであります。
箱崎古墳群は30基以上ということで、中規模ということでいいでしょうか。
■箱崎古墳群のエリア東端から南西方向の眺めであります。
■箱崎29号墳。
■半分ざっくりないように見えます。
■箱崎29号墳。
■盛土が減ったのかぺシャッとしております。
■箱崎4号墳。
西側の道沿いから見ると、古墳らしい姿をしておりますが、
奥行きがない土塁状であります。
■箱崎22号墳。
■箱崎19号墳。
改変されております。
■箱崎15号墳。
言われないとわからないぐらいペシャンコであります。
■23号墳のあたりにあるような盛り。
■箱崎古墳群の西端。それにしても荒川が近い。
この写真の右のほう150m位の場所に、
「将軍塚古墳」と呼ばれていた大円墳(箱崎5号墳)があって、
今は消滅しておりますが、古い航空写真を見たら、
それらしいのがありました。
■赤矢印。
出典:国土地理院 「USA-R465-No1-53」をトリミング。昭和22年(1947/11)撮影。
■拡大。
径30m弱くらいじゃろか。
周堀のように見える白い縁も墳丘なら、もうちょっと大きいかもであります。
うみゅ。
■2006年に、川本町は花園町、岡部町と共に深谷市に合併したので、
今は荒川の南側も深谷市なのであります。
江南町も同じくらいの時期に熊谷市に合併したので、
やはり荒川の南側も熊谷市なのであります。
荒川の南は近頃の大里郡というイメージが強いので、
なんだか変な感じなのでありますが、古くからの大里郡というくくりで見れば、
市町村の結びつきは自然でもあると思うのであります。
して現在、大里郡と付くのは寄居町だけでありましょうか。
■拡大。
荒川中流域の左岸右岸には、鹿島古墳群のように、
100基を超える大規模な古墳群から、数基ほどの小規模な古墳群まで、
数kmおきにほいほいとあるのであります。
箱崎古墳群は30基以上ということで、中規模ということでいいでしょうか。
■箱崎古墳群のエリア東端から南西方向の眺めであります。
■箱崎29号墳。
■半分ざっくりないように見えます。
■箱崎29号墳。
■盛土が減ったのかぺシャッとしております。
■箱崎4号墳。
西側の道沿いから見ると、古墳らしい姿をしておりますが、
奥行きがない土塁状であります。
■箱崎22号墳。
■箱崎19号墳。
改変されております。
■箱崎15号墳。
言われないとわからないぐらいペシャンコであります。
■23号墳のあたりにあるような盛り。
■箱崎古墳群の西端。それにしても荒川が近い。
この写真の右のほう150m位の場所に、
「将軍塚古墳」と呼ばれていた大円墳(箱崎5号墳)があって、
今は消滅しておりますが、古い航空写真を見たら、
それらしいのがありました。
■赤矢印。
出典:国土地理院 「USA-R465-No1-53」をトリミング。昭和22年(1947/11)撮影。
■拡大。
径30m弱くらいじゃろか。
周堀のように見える白い縁も墳丘なら、もうちょっと大きいかもであります。
うみゅ。