土曜日の午後、自転車で床屋に行ったのですが、
その方向の先に附川古墳群があるので、
さっぱりした頭に帽子を被って、ちょっと見にいたのであります。

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■附川古墳群の位置。
 東松山台地の中央南側が少しえぐられた箇所。
 都幾川が作った堆積地の自然堤防上であります。
 かつては12基以上あったとのことでありますが、
 中学校の造成と、高速道路建設によって、
 現在は4基の墳丘が残るだけであります。
 この中学校卒業者にはノーベル賞受賞者がいらっしゃるのであります。
 そばには、約50年前まで13基あったという青鳥古墳群があります。
 今はすべて消滅したのでありますけれども。
 また、地図を見ていたら、青鳥古墳群の上(北側)に、
 十三塚という地名があるのを知りました。
 このあたり、近年宅地の開発が進んでいると思うあたりですが、
 杉林というか藪が多いところだったと記憶しております。

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■まずは附川1号墳。この写真だけは以前のもの
 この時も床屋に行ったついででありました。うみゅ。
 中学校の敷地内にあって、復元整備された古墳であります。
 この古墳もそうですが、古墳群のすべての古墳は円墳で、
 調査されたものは、銅張がある複室構造の横穴式石室を持つのが、
 古墳群の特徴ということであります。

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■1号墳から先、関越の下をくぐってちょっと進むと11号墳。
 南から。

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■北側の道路からも見える11号墳。中央の茂み。
 平屋の屋根と同じぐらいの高さがあります。

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■祠がある低い12号墳。
 東松山ICのランプ沿い。横Gがちょいかかる道のすぐ外に、
 古墳であります。

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■12号墳は、そのまま南側に土盛りが続いているように見えるのだけれど、
 これはなんだろうか。
 前方後円墳だったなどということがあるのかしら。

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■それともすぐ近くにある、右の土盛りがそうなのだろうか。

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■定宗寺裏の杉林内にある10号墳を遠目から。

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■まだ高速も中学校もない昭和22年の空中写真。
 1号墳の周囲に、中学校の造成、拡充工事で消滅した2~5号墳が、
 1号墳と11号墳の間に、関越道建設で消滅した、6~9号墳。
 出典:国土地理院 「USA-R356-3」をトリミング。昭和22年(1947/10)撮影。

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■現在のg地図。

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■附川古墳群で現存する墳丘は4基。
 昭和30年代の調査で分かっている、東松山台地南東部の古墳は、
 青枠でありますが、赤線のあたりにもかつて古墳があったのだろうと、
 そう思わせる地形であります。