P1420182
■昨日は雨でしたので、図書館に行って、貸し出し可の郷土資料を、
 いくつか借りてきました。
 今日は良く晴れておりますが、朝から強風というか、
 サッシの窓がガタガタいうほどの暴風であります。
 なので家でおとなしくしております。
h2_0002
■柏崎古墳群の分布図。
  金井塚良一(1968)『柏崎古墳群:埼玉県東松山市柏崎古墳群発掘調査報告』 考古学資料刊行会
 4号~7号の古墳が、四角枠の工場建設予定地に入っていたので、
 昭和42年(1967)に発掘調査をした時の資料であります。
 この資料には、工場建設によって消滅してしまった古墳の、
 発掘前後の写真もあって興味深いのであります。
 もっと古い年代の空中写真があれば、もちろん4~7の古墳は写っているだろうし、
 今は原形をまったくとどめていない前方後方墳の天神山古墳(10号)も、
 ひょっとしてそれっぽく写っているかもしれないと探したのが、
 以下の米軍撮影の空中写真であります。

bunpu3
■昭和22年(1947)に撮影された柏崎の空中写真。
  出典:国土地理院 「USA-R402-67」をトリミング
 天神山古墳(10号)の場所は、少し盛り上がりを感じますが、
 木立がなく、やっぱり墳丘上まで耕作されていて、
 エッジがあるようには見えないのでありました。

bunpu1
■その空中写真に分布図を重ねてみたの図。
 ここで、ちょっと気になることがありました。

bunpu2
■建設予定地内の4号~7号の古墳位置が、
 下の2号や上の8号の正確さに比べて、なんだか雑なところであります。
 4号はその左側の木立で色の濃い場所だろうと思うし、
 6、7号も少しずれております。うみゅ。
 それはそうと、発掘調査時に5号はすでに大半が削平されていて、
 わずかな高みが感じられるだけとのことでありましたが、
 昭和22年の写真の段階で、すでにその状態だったということでありましょうか。
 それにしても、4、5、6号とも30mクラスの小さくはない円墳であります。
 このエリアの基礎体力の高さというものを感じるのであります。

bunpu4
■もう少し広い範囲の空中写真と、1号から15号までの分布、
 それに、現在の道路地図を重ねてみたの図。
 13号は、民家が、古墳を、その墳丘にある木立も含めて、
 屋敷防風林に利用しているような配置であります。
 15号も同じ配置でありましたので、
 そういう目で見ると、この13号付近はもっとポコポコと、
 古墳があったのではなかろうかと思える写真であります。
 やはり30mクラスの小さくはない円墳で。

n1
■前図の赤字分布レイヤーを、現在のg写真に重ねてみたの図。
 昭和22年の人力で作業するサイズの田畑のモザイク具合が、
 きれいだなぁと思うのでありました。
 で、柏崎古墳群の疑問でありますが、以下の写真を見ていて、
 思ったことであります。

v1
■昭和22年(1947)に撮影された比企丘陵全体の空中写真。
  出典:国土地理院 「USA-M44-A-5LT-11」

v2
■右側を拡大。

v3
■さらに拡大。
 11号のあたり、白くなっております。
 なんとなく前方後方墳に見える。だとしたら、60mの天神山古墳より、
 さらに大きいのであります。
 白いからってなんだということについては、元がありまして、
 踊る埴輪が出土した野原古墳群の空中写真で、
 白くなっているのが古墳であるという記述を以前読んだからであります。

s1
塩野博(1968) 『埼玉の古墳:大里』 さきたま出版会

■今は手元にあるので、その部分をすぐに読み直せるのであります。
 本文の最後の行の続きは、
 「...「境田二四番」にかかって古墳が、「白く」写し出されているのである。」
 ただ写真を見てもよくわからないのでありますが、
 これが古墳跡であるあならば、白く写っている11号墳のあたりもであります。
 うーみゅ。