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■この時期、台地上には、とうもろこし畑が多くありました。

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■背の低い一帯があるなと思ったら、先端の雄花が切られておりました。
 受粉が済んだら、切ってしまったほうがいいということじゃろか。

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■とうもろこし畑ごしの、堂山古墳(菅原稲荷塚古墳)。
 径31mの円墳。

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■鳥居の前から。

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■墳頂からのトウモロコシ畑。
 鳥居の先の建物は漬物工場で、道から眺めたら、
 長年使い込んでいるような大きな木の桶がたくさんありました。
 この付近、屋号の違う漬物工場がいくつかあるのであります。
 どんな漬物で、どこで買えるのかしらと思いながら、
 その匂いをかいでおりました。
 車を止めた道の駅で、ラーメンを食べて帰りましたが、
 物産というか、お土産屋さんにひょっとしたら置いてあったかもしれない。
 寄ればよかったと、これを書きながら思いました。

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■それにしても、この堂山古墳(菅原稲荷塚古墳)は、
 高さはあるけれど、ちょっといびつで、そのいびつ具合なのでしょうか、
 雰囲気がある古墳だなぁと思ったのであります。

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■深谷市 愛宕山古墳。一辺37mの方墳。
 北よりから畑越し。

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■正面。

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■墳頂。

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■墳丘の角はでております。

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■案内板

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■奥にバスラーメン越しの、蛇喰塚古墳(白山26号墳)。
 どうしてそんな名前なのかでありますが、地名がジャバミなのでありますね。
 白山26号墳としている資料もあるということでありますが、
 最初の とうもろこし古墳 堂山古墳(菅原稲荷塚古墳)と同じ、
 菅原古墳群に含まれるということであります。
 気になったのは、26号墳というくらいだから、白山古墳群は、
 少なくともこの古墳以外に、25基あるということであります。
 ただ今は、周辺にそんな墳丘はないのであります。
 調べたら、南西の宅地造成地の下になっているということでありました。
 宅地の中に、「白山公園」という公園があるのを地図で見ました。

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■蛇喰塚古墳は、台地の縁にあるので、
 今でも相当遠くまで見渡せるのであります。

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■径25mの円墳。

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■北西から。

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■福川に掛かる橋から見た蛇喰塚古墳。
 中央奥の丸い木立。

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■お手長山古墳。

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■墳頂。
 墳丘は手入れされて、すっきりしております。

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■全長49.5mの帆立貝式前方後円墳。
 周囲に遮るものが少なく、広々としているので、
 とても見やすい古墳であります。

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■案内板。
 芯の部分が傾いて残っているのでありますね。

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■それから櫛引台地の北東域の首長墓とされる寅稲荷塚古墳。
 北から。
全長51mの前方後円墳。
 木立の中に、左側が後円部。

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■台地端。四拾坂という場所であります。

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■東から。

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■墳頂。
 ある程度変形を受けていると思うのでありますが、
 高さ、くびれは十分に残っていると思うのであります。

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■案内板。

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■墳丘下、正面右にある「霊神追悼碑」。

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■四十坂浅間山古墳。径35mの円墳。
 後世に盛られたのか、もともとなのか、2段に見える墳丘であります。
 1本違う小道に入ったので、この先で藪に阻まれ、
 古墳に上れずでしたので引き返しましたが、
 ウロウロして古墳を眺めていたりしている時に、
 蚊に食われました。うー。

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■案内板のある小道を入った先に、
 古墳に上る浅間神社の階段がありました。

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■墳頂から。

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■東の道路から。
 きれいな形の墳丘であります。

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■案内板。

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■この日の最後は「百庚申」でありました。
 小さめの庚申塔がたくさん並んでいて、すごい雰囲気であります。
 その上にある岡の八坂神社に見たい石碑があるのであります。

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■案内板。

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古墳供養塔。昭和5年建立。
 昇寛さんのこの記事によると、四十坂(四十塚)古墳群の、
 東端にあたるということなので、ここにも古墳があったというこでありますか。
 引用によると、「....古墳大四十小六十あり之を四十塚と名く....」とあるので、
 計100基ほどの古墳があったということであります。
 大きな古墳が40基なので、四拾坂にも掛かるしということで、
 四十塚としたという理解でいいのじゃろか。
 そうして開墾して得た田畑も、一部は娯楽施設などの商業施設に、
 取って代わられているという、良いも悪いも、時の流れというものを、
 すこし感じたのでありました。