探している石碑は、「古墳合祀之碑」で、
裏は「大正九年十月十七日 長島甚助建之」であります。
■軌跡。
■ゆるい傾斜地の団地内も、
■田畑も、
■その奥の、静かな気持ちのいい場所も、
■集落も、そこにある古いお店も、
■規模の大小はあるけれど、
ほんとに増えたなぁと思うソーラーパネルの場所も、
とにかく、グルグルしたのであります。
■古墳を土台にしているように見える春日神社(旧大里町小八林)。
■その参道左手の石碑が並んでいるところ。
■多きな石碑のほぼ中央に、探している名前が。
その場でネットで調べましたが、
長島甚助氏は旧吉見村(旧大里村~町)の村長だったのでありますね。
百穴のある現吉見町と紛らわしいのでありますが、別の区域であります。
任期は大正七年から4年間であります。
なので、「古墳合祀之碑」も在任期間中に建てられたということは、
わかりました。
■同じ場所にこれもありました。
右下に長島甚助氏の名前があります。
して、「混凝土」はコンクリートのことというのを初めて知りました。
■その裏には、大正十一年と刻まれております。
これがしっかり読める形で残っているなら、
「古墳合祀之碑」も読める形で残っているじゃろというのが、
希望の元であります。
■付近は荒川を望む緩やかな傾斜地であります。
■三階沼。
■丘陵を下りて平地も走り、
■長島記念館。
そこかしこにある長島記念館の看板を見て、
そこで初めて長島甚助氏の系図なのだと気がついた私であります。
■馬頭観音は大きいものから小さいものまでたくさんあるし、
■お地蔵さんも、
■自然堤防の残丘もたくさんあるのでありますが、
探しているものが見つからない。
■して、こんなのがありました。A地点。
■一瞬古墳かと思いました。
石で固めた盛土?自然堤防?
■反対側から。
■結局あきらめての帰り道。
■吉見丘陵の高いところを通ってであります。
ブレーキを握る手が痛くなる下り坂。
狭い範囲なので、ヤミクモにグルグルすれば、
そのうち見つかるかもは、ダメでした。
もっと精度をあげなくちゃと思ったのでありますが
それが、翌日の成果につながるのであります。うみゅ。
裏は「大正九年十月十七日 長島甚助建之」であります。
■軌跡。
■ゆるい傾斜地の団地内も、
■田畑も、
■その奥の、静かな気持ちのいい場所も、
■集落も、そこにある古いお店も、
■規模の大小はあるけれど、
ほんとに増えたなぁと思うソーラーパネルの場所も、
とにかく、グルグルしたのであります。
■古墳を土台にしているように見える春日神社(旧大里町小八林)。
■その参道左手の石碑が並んでいるところ。
■多きな石碑のほぼ中央に、探している名前が。
その場でネットで調べましたが、
長島甚助氏は旧吉見村(旧大里村~町)の村長だったのでありますね。
百穴のある現吉見町と紛らわしいのでありますが、別の区域であります。
任期は大正七年から4年間であります。
なので、「古墳合祀之碑」も在任期間中に建てられたということは、
わかりました。
■同じ場所にこれもありました。
右下に長島甚助氏の名前があります。
して、「混凝土」はコンクリートのことというのを初めて知りました。
■その裏には、大正十一年と刻まれております。
これがしっかり読める形で残っているなら、
「古墳合祀之碑」も読める形で残っているじゃろというのが、
希望の元であります。
■付近は荒川を望む緩やかな傾斜地であります。
■三階沼。
■丘陵を下りて平地も走り、
■長島記念館。
そこかしこにある長島記念館の看板を見て、
そこで初めて長島甚助氏の系図なのだと気がついた私であります。
■馬頭観音は大きいものから小さいものまでたくさんあるし、
■お地蔵さんも、
■自然堤防の残丘もたくさんあるのでありますが、
探しているものが見つからない。
■して、こんなのがありました。A地点。
■一瞬古墳かと思いました。
石で固めた盛土?自然堤防?
■反対側から。
■結局あきらめての帰り道。
■吉見丘陵の高いところを通ってであります。
ブレーキを握る手が痛くなる下り坂。
狭い範囲なので、ヤミクモにグルグルすれば、
そのうち見つかるかもは、ダメでした。
もっと精度をあげなくちゃと思ったのでありますが
それが、翌日の成果につながるのであります。うみゅ。