451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

長沖古墳群への興味(2)

新しいスマホで撮った古墳の続きでもあります。

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■古墳群の東端にある32号墳は、墳長33m弱の小型の前方後円墳であります。
  出典:国土地理院 「USA-R511-No2-44」をトリミング。昭和24年(1949/1)撮影。

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■現在は、古墳公園として、復元整備されております。

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■後円部から前方部。
 小型とはいえ、前方後円墳という形は、モグリで作ったのでなければ、
 そこに何かしらの意味があるということでもあります。

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■前方部から後円部。
 高さにメリハリがないのだけれど、こういうものなのでありましょうか。
 太陽光パネルの先の木立は31号墳であります。
 31号墳は古墳群最大の50mの前方後円墳で、
 古墳群の東エリアの主墳と考えられていたということですが、
 円墳2基が隣接していただけというのを昇寛さんの記事で知りました。

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■案内板。

長沖古墳群への興味(1)

長沖古墳群は本庄市(旧児玉町)にある古墳群で、
分布調査報告書では、小型の前方後円墳6基を含む160基弱の、
大規模な古墳群ということでありますが、
その後のいくつかの調査で古墳跡が見つかり、200基を超えるとなっております。
この古墳群はかつて金屋村字梅原の地名から、
「梅原古墳群」と呼ばれていたということであります。
この字名にはううむと唸る引用が「埼玉の古墳」にありました。
明治28年(1895)に秩父探訪に出た学者の報告書であります。
 
 ・梅原という地名だけれど、ここには梅の木は1本もないし、
  このたくさんの古墳から考えるに「埋め原」というのがもとであろう
 

ううむであります。
その他には、
 
 ・おびただしい数の古墳がある。
 ・古くは百塚と呼ばれていた場所だが、100以上ある
 ・一つの古墳に登って見渡して数えても40基以上はある
 ・丸塚(円墳)で小さいものばかりだが、2基ほど瓢型(前方後円墳)がある
 
うむ。
して、周辺にはやはり大規模な古墳群がいくつもあり、
とてもしびれるエリアなのであります。
※埼玉の古墳
 塩野博(2004) 『埼玉の古墳:児玉』 さきたま出版会.
※分布調査報告書
  『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.

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■赤枠が古墳群のエリアでありますが、
 これが撮影されたS24でも、一つの古墳に登れば、
 40基ぐらいは数えられそうなほど、ポコポコしております。
  出典:国土地理院 「USA-R511-No2-44」をトリミング。昭和24年(1949/1)撮影。

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■現在のgアース。
 ううむ。


スマホ買換えの覚書と長沖古墳群

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■スマホ買い換えました。
 交換前、まったく問題なく使っておりましたが、
 このところ、急にバッテリーが不安定になったと感じていたら、
 そのうち充電すら出来なくなったのであります。
 修理に出せば1万円弱ということだし、
 自己責任の自分でバッテリー交換すれば数千円で済むようでありますが、
 延命程度だと思うしで、買い換えることにしました。
 新しいのは比べればサクサク動くので満足なのでありますが、
 特に、モニターのせいなのか、カメラが良くなっている感がありますので、
 古墳でも撮ってみようと思っていたのであります。

 今日、深谷にねぎを買いに行ったついでに、
 おおぎやでにんにくたっぷりの味噌ラーメンを食べて、
 その足で以前ポコポコが止まらなかった長沖古墳群に行ったのであります。
 
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■そろそろ終わりのブロッコリー畑と長沖古墳群111号墳。
 曇りのパッとしない天気でありましたが、まずまずでありました。
 うみゅ。

 

誕生日

カミさんの誕生日なれば、帰りにケーキ買ってきたなり。
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■小さいのをいくつか。
 感謝。

 ケーキ屋さんはオープン2年目でありますが、
 場所が高坂古墳群エリアなのであります。
 数年前まで墳丘が残存していた前方後方墳の高坂古墳群8号墳や、
 高坂古墳群9号墳(高坂神社古墳)のすぐそば。
 なので、あの ピカピカの三角縁神獣鏡 が出たすぐそばでもあります。
 うみゅ。

鹿島古墳群へ

冷たい向かい風のなかを、荒川に向かったのであります。

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■丘陵を抜けて、

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■日陰には朝方の雪がうっすらと残っていたので、
 滑らないように硬直しながら、

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■着きました。
 鹿島35号墳。小さな稲荷社。

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■葺石だろうか。小さめの石だらけであります。

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■鹿島古墳公園のメインエリア入口にある案内板。

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■下草が刈られているので、藪に悩まされることなく、
 群集墳を歩いて見て回れる。やっぱりいい所だなぁと思うのであります。
 基本葺石がありますので、この景色は当時は以下のように、
 見えていたはずです。

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■イメージ。

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■先の景色の中央に見える赤さびた案内板はこれであります。
 ところどころしか読めないのでありますが、
 最後の方は、「昭和四十?」と「川本村長」と書かれているように思えます。
 県指定史跡になった頃のものでありましょうか。

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■墳頂から南の展望。

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■鹿島66号墳と思われる円墳。

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■この古墳に限らずですが、墳丘には葺石。

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■公園の幅が狭まった個所。西の眺め。

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■公園西側の鶏舎が近い林の中。

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■古墳群のほぼ西端から東方向。
 ここでもかつての景色は、

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■イメージ。

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■して、あれが見たかった3号墳と思われる盛であります。

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■南から。

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■西側。葺石と思われるものが。

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■北から。うみゅ。
 それから、吉野川を渡ったすぐに、ます塚古墳という、
 1辺10mの方墳があったというそれを見に行きました。

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■ます塚古墳はもう見当たりませんが、すぐ近くにこんなのがありました。
 見たいものが見れたので、あとは帰り道がてらに、
 いくつか別の古墳を見てであります。
 ただ冷たい風が吹く日でありましたので、この頃から、
 もう脳みその大半は、さくら屋であっつあつのかけうどんを食べることばかり、
 考えているのでありました。

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■江南台地に冷たい道で上がり、

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■上がった所。

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■上前原古墳群1号墳。

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■上前原古墳群2号墳。
 しっかりした高さがありましたが、墳頂がぼっこりと陥没しておりました。

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■それから瀞簡院2号墳。

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■この古墳はいつみてもギリギリ感がすごいと思うのであります。

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■お昼をとうに過ぎた時間でも込み合っていた店内のカウンターで、
 お待ちかねのうどん。
 体が冷えておりますので、喉が焼けるかと思いました。
 体が温まったあとは、のんびり丘陵を越えて帰るであります。
 

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