451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

嵐山町・山王古墳群の疑問

古墳群の南側の13、14号墳の二つは、
丁寧な解説と復元図等の図解が素晴らしくて何度でも見てしまう、
嵐山町のweb博物誌の一つ、「丘陵人の叙事詩」によると、
上石堂古墳群となっているじゃろか。
それはそうとして、町の指定史跡になった時に作られたと思われる、
現地の案内板には、「...ここ山王の二十基ばかりを...」と書かれております。

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■これ。
 1994年の分布調査報告書では、山王古墳群は14基となっていて、
 2004年の「埼玉の古墳」でも14基であります。
 S61(1986年)には20基が現存していたのでありましょうか?
 それとも、石堂古墳群(4基)、川坂古墳(1基)など、
 周辺の古墳も合わせた数だったのか?
 これが素朴な疑問であります。
 残存している古墳は、現在「オオムラサキの森」として保全管理されているので、
 おまけというか、好運にも消滅する心配はないのが、
 うれしいところであります。
 ※埼玉の古墳
  塩野博(2004) 『埼玉の古墳:比企・秩父』 さきたま出版会.
 ※分布調査報告書
   『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.


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■山王古墳群12号墳。
 「オオムラサキの森」のコアな場所は、
 観察路が古墳の周囲を回っていて、この季節であれば、
 近づいてじっくり見ることができるのもありがたいところであります。
 ただ管理地内でも、その外側に近いところは下草で見にくかったり、
 近くまでいけないものもあったりとであります。

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■同じ12号墳を西側から。

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■右の笹山が山王古墳群11号墳。
 左に12号墳、中央に9号墳。奥に7号墳が見えております。
 密集具合を感じるところであります。

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■10号墳を西から。
 石室材が見えているのかしら。

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■7号墳。

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■右の盛りが8号墳?

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■茂みで近づかないとわからない5号墳。

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■4号墳。
 古墳群には、特別に大きなものはないのだけれど、
 これはなかでも大きい方なのではと感じました。

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■奥が半カットの6号墳。

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■その6号墳の裾からは、二つの円墳が見えております。
 9号墳と12号墳でありますか。

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■隣接する民家の庭に、7号墳がはみ出しております。

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■2号墳。

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■違う角度から2号墳。中央右の木立の中。

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■現地「オオムラサキの森」案内板と古墳のだいたいの位置。
 一つ前の写真で自転車を止めている場所は、
 とがった先の場所で赤矢印であります。

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■少し離れた場所にある1号墳。

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■さらに離れた先から見る山王古墳群。
 中央奥から左手の木立にかけてがそうであります。
 して、山王古墳群だけではなく、菅谷館跡を囲むように存在する、
 いくつかの古墳群の分布を考えたら、
 菅谷館跡も、古墳群の上に築かれているのだろうと思うのでありました。
 土塁の中に埋もれている古墳もあったりして。うみゅ。
 それから、何度も何度も走っている都幾川の桜堤のエリアには、
 行司免遺跡と古墳跡があり、そのそばの笛吹峠に向かう途中には、
 粟津ヶ原古墳群があるということを知ったので、
 それらを訪ねて、改めて周囲を回ってみたいと思うのでありました。

嵐山周回

風が弱くて、暖かい日でありました。
古墳を見に嵐山に向かったのであります。

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■梅を見て、

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■同姓塚1号墳。この民家の庭先の径15mの円墳を見て、

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■沼を見て、

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■二股のクヌギの先、崖の上でありますが、樹木が切られ、
 都幾川の桜堤がより高い位置から見えるようになっておりました。

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■そこから望遠でお馬さん。

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■石室が立派な嵐山の稲荷塚古墳にも行きました。

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■北西側から。
 緩い傾斜地に径20mの円墳のしっかりとした大きさであります。

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■現地案内板。

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■それから、鎌倉街道に行って。
 「伊昔鎌倉街道菅谷」と書かれた石碑はS33建立とのことであります。

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■案内板。
 ここは鎌倉街道の遺構があり、また「オオムラサキの森」でもあり、
 「山王古墳群」でもある、なかなかに盛りだくさんの場所なのであります。
 上のリンク先で「落ち葉についた幼虫を探す児童」という写真がありますが、
 そこには古墳もきっちり写っております。うみゅ。

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■ほぼ同じ場所に並ぶ案内板。

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■見通しの良い林に山王古墳群のうちの2基。

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■そのあとは、東昌寺古墳2号墳。
 なにやらたくさん建っていて、言われなければ古墳とはわかりません。

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■東昌寺古墳1号墳。

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■「埼玉の古墳」によると、東昌寺の墓地にあるので、原形を保っていないが、
 径16mの円墳ということであります。
 ただ実際に墳丘に登り、おりて裾から見上げてみると、
 もっと大きかったのではという印象であります。
 また、東上線の武蔵嵐山駅から、この東昌寺にかけて、
 数多くの古墳があったということですが、
 その数百メートルの間の古墳については、何もわからないということであります。

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■眼が痒くなるので目薬をさしながら、竹林を通って帰ってきました。

長沖古墳群への興味(3)


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■古墳群中央の密集地帯であります。
 
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■拡大。
 番号は先日歩いて回った時に、スマホで撮った古墳に振っております。
 円墳で径10~15mのサイズが墳丘が多く残っているように見えるけれど、
 61号墳のように、ちょっと大きいのがポツポツあって、その南側の離れた位置に、
 番号は振っていないけれど、径30mクラスの54号墳も見えております。
 古墳の大きさというものは、大きいほどエラいというので、
 間違いないと思うのでありますが、径10mと径30mとでは、
 どのぐらいのエラさに違いがあったのか?
 これは素朴な疑問であります。
 径では3倍でありますが、古墳は3次元でありますので、
 作る労力は3倍ではないのであります。

 所有のガイドブックに載っていない古墳の有り無しや、
 その位置も含めた基本情報、見つけた古墳の同定情報などは、
 埼群古墳館 様より得ております。Powerd By であります。
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■スズカケの木なのかしら。
 不思議な空間の酒屋さんの前を通り、

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■塀の奥に56号墳。

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■径20m弱で、楕円に残っているのか細長い形に見えました。
 その先を歩いていくと、

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■HCのコメリ裏支群と言ってもいいような立地になっておりますが、
 中央の今は小さな57号墳をはじめ、59、60、61、62号墳が見える、
 ハードなところであります。

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■59号墳。

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■59号から北方面。
 太陽光パネルの先、中央左の葉が落ちて枝がよく見える一本の下は、
 58号墳であります。

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■63号墳と奥に頭だけ見える64号墳。
 63号墳は2段築盛なのだろうか。

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■同じ63号墳を別の角度から。
 中央に石室に通じているのかしらの動物の穴?が開いております。
 円墳の形は、プッチンプリンをきちんと皿にプッチンした時のように、
 上部が平らなのでありますが、そんな形が残っているようにも見えます。

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■奥にS24年の写真では少し小さく見える64号墳。
 右の切れているのは63号墳。

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■右に囲われた高さのある62号墳。
 左奥は、周囲では大き目の61号墳。

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■62号墳は、ホームセンターの敷地の端に、ギリギリでありました。
 古墳をなんとか残そうという思いでありますか。
 石室材なのか大き目の石が見えております。

 長沖古墳群は200基を超える古墳群でありますが、
 古墳時代後期にガッと作られた群集墳ではなく、
 中初期から連綿と築造され続けたという点が興味深いのであります。
 それから、現在はどのぐらい残っているのか、
 消えた古墳はどのあたりにあったのかを、
 丹念にひとつひとつ見てみたいと思うのでありました。
 これは性分というものだろうと思うのでありますけれども。

長沖古墳群への興味(2)

新しいスマホで撮った古墳の続きでもあります。

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■古墳群の東端にある32号墳は、墳長33m弱の小型の前方後円墳であります。
  出典:国土地理院 「USA-R511-No2-44」をトリミング。昭和24年(1949/1)撮影。

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■現在は、古墳公園として、復元整備されております。

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■後円部から前方部。
 小型とはいえ、前方後円墳という形は、モグリで作ったのでなければ、
 そこに何かしらの意味があるということでもあります。

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■前方部から後円部。
 高さにメリハリがないのだけれど、こういうものなのでありましょうか。
 太陽光パネルの先の木立は31号墳であります。
 31号墳は古墳群最大の50mの前方後円墳で、
 古墳群の東エリアの主墳と考えられていたということですが、
 円墳2基が隣接していただけというのを昇寛さんの記事で知りました。

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■案内板。

長沖古墳群への興味(1)

長沖古墳群は本庄市(旧児玉町)にある古墳群で、
分布調査報告書では、小型の前方後円墳6基を含む160基弱の、
大規模な古墳群ということでありますが、
その後のいくつかの調査で古墳跡が見つかり、200基を超えるとなっております。
この古墳群はかつて金屋村字梅原の地名から、
「梅原古墳群」と呼ばれていたということであります。
この字名にはううむと唸る引用が「埼玉の古墳」にありました。
明治28年(1895)に秩父探訪に出た学者の報告書であります。
 
 ・梅原という地名だけれど、ここには梅の木は1本もないし、
  このたくさんの古墳から考えるに「埋め原」というのがもとであろう
 

ううむであります。
その他には、
 
 ・おびただしい数の古墳がある。
 ・古くは百塚と呼ばれていた場所だが、100以上ある
 ・一つの古墳に登って見渡して数えても40基以上はある
 ・丸塚(円墳)で小さいものばかりだが、2基ほど瓢型(前方後円墳)がある
 
うむ。
して、周辺にはやはり大規模な古墳群がいくつもあり、
とてもしびれるエリアなのであります。
※埼玉の古墳
 塩野博(2004) 『埼玉の古墳:児玉』 さきたま出版会.
※分布調査報告書
  『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.

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■赤枠が古墳群のエリアでありますが、
 これが撮影されたS24でも、一つの古墳に登れば、
 40基ぐらいは数えられそうなほど、ポコポコしております。
  出典:国土地理院 「USA-R511-No2-44」をトリミング。昭和24年(1949/1)撮影。

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■現在のgアース。
 ううむ。


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