451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

秩父の古墳めぐり 飯塚・招木古墳群

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■「招木古墳通り」を歩いて、先の秩父鉄道をくぐり、
 荒川にかかる和銅大橋を渡ればすぐ、120基以上の円墳で構成された、
 秩父最大の群集墳、飯塚・招木古墳群であります。

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■車道まじかの89号墳。
 この車道建設時にそれにかかる円墳7基の発掘調査が行われ、
 そのうちの一つをここに移転復元したということであります。

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■南側から。
 この古墳群の石室はすべて武甲山を向いていると、
 何かで読んだ記憶があるのですが、 資料を探せませんでした。
 気のせいかもであります。


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■現地案内板。

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■飯塚地区の古墳群。
 道の右にたぶん71、70号墳と、左にたぶん2号墳。

maneki
■上の写真は、青矢印の方向で撮ったもの。
 先の復元古墳の89号墳は、赤矢印であります。
 図は、古墳探訪の記録を、豊富な写真でPDFにされている方から、
 勝手に持ってきてしまった迫力のある分布図。
 明確に2群に分かれていて、左上が飯塚地区、右下が招木地区。
 飯塚地区の中央部に、比較すれば大型の円墳が2基が、
 並んでいるとうのがよくわかる図であります。

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■6、7、12、16号墳あたり。
 近づけばグイッと高さがあるのがわかるのであります。

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■円墳とキジ。

秩父の古墳めぐり 狐塚古墳

秩父鉄道「影森駅」で下車して、この日初めに見に行った古墳であります。
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■もうこのあたりだろうと宅地をトコトコ歩いていたら、
 だいぶ近づいてから家のカゲにある古墳が見えてきました。
 ただ事前に見知ったイメージとはかけ離れていたのであります。

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■いつの写真かわからないけれど、秩父市のサイトから。
 事前のイメージでは、この写真のように、
 まっすぐの檜が数本と墳頂の社が目印の、畑の中の雰囲気のある古墳でしたが、
 檜は切られてしまったようであります。

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■それでも隙間から見える古墳は、
 長径24m、高さ4mのボリュームを感じます。
 左の家との境に、おそらく案内板が見えているのだけれど、
 近づけずでありました。

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■拡大。

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■西側に回っても近づけず。
 急な盛り上がりであります。右奥に武甲山。

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■南側に回っても近づけず。
 墳頂の稲荷社はしっかり大きいのであります。
 結局、墳丘に登って稲荷社で手を合わせるのはあきらめて、
 次の古墳に向かったのでありました。

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■これは、分布調査報告書のタイミングで詳細調査をした時の、
 古墳の実測図であります。変形を受けているせいなのか、
 一見四角の方墳のように見えるのであります。
 東側に2本、南側に1本のトレンチ設定でありますが、
 周堀は確認できなかったとのこと。
 広くはないけれど平地の古墳でありますので、
 周堀がないとは考えにくいし、だからこそのトレンチ調査であります。
 であれば、周堀はもっと外側にあったのか?
 だとすると、30mを超える古墳だったのかしら。
 古墳の本「さいたま古墳めぐり」では、この古墳を、
 現存する秩父地方最大の古墳としていますが、
 かつての姿も最大級だったのかもと思わせる調査結果でもあります。
 うみゅ。
  ※分布調査報告書
    『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.


秩父の古墳めぐり 皆野大塚古墳と疑問

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■大塚の名にふさわしい大きな円墳であります。
 現地案内板によると、径33mの円墳ということであります。
 古墳の本「さいたま古墳めぐり」では、この古墳は径18mで、
 秩父では径24mの狐塚古墳に次いで、2番目に大きいということでありますが、
 現場ではやっぱり30mクラスの大きな円墳に見えるのであります。

 そもそも、円墳の径が何mなのかは、残存している墳丘の実測値の場合と、
 周堀の調査からその内径が推定された場合があり、
 私はそれを区別しないで使っているのでありますけれども。

 して、だとすると、径33mは秩父で一番大きいということになりますが、
 「埼玉の古墳」では、竪穴式石室と同様の作りで横口を持っているという、
 たぶんあまりない過渡期の様式なのかもの、
 「稲穂山古墳」について記載があり、それは径38mであります。
 蓑山の西麓にあり、河岸段丘との比高100mと書かれているので、
 この大塚古墳からさほど離れていない場所にあると思われますが、
 分布調査報告書にはその記述がないので場所がわからないのであります。

 秩父地域で一番大きかった古墳はどれなのか?
 これが素朴な疑問であります。
 発掘調査後に大きさは改訂されることは当たり前にあるし、
 長らく円墳と思われていたものが実は前方後円墳だったとかいうのも、
 無いことではないので、現時点でのということでありますけれども。

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■菜の花と古墳。

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■すごく立派な看板というのかなんというのか。

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■墳頂に登る階段の左側に、石室が開口しております。

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■先の「埼玉の古墳」にちょこちょこ掲載されている古い資料図の、
 右端はこの大塚古墳であります。
 幕末から明治という激動の時代に書かれたこの図でも、
 墳頂の社に登るための階段が見て取れるのであります。

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■鉄格子の隙間から覗いた石室内部。

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■現地案内板。

秩父の古墳めぐり 金崎古墳群

この古墳群を見るまでは、
誇張しすぎじゃなかろうかと思っていたことがあったのです。

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■「埼玉の古墳」にちょこちょこ掲載されている古い資料図。
 描かれている古墳は、金崎古墳群のものではなくて、
 秩父の他の古墳なのでありますが、
 とても雰囲気というか味のあるスケッチで、見入ってしまうのであります。
 ただ、石室の大きさや、開口具合、墳丘の盛りなど、
 迫力を出すために、実際よりも大げさに書かれているんじゃなかろうかと、
 そう思っていたのであります。
 でも、違ったのでありました。

  ※埼玉の古墳
   塩野博(2004) 『埼玉の古墳:児玉』 さきたま出版会.



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■金崎古墳群、大境2号墳。

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■金崎古墳群、大境3号墳。
 迫力であります。
 両方とも大人が立って歩ける大きさの石室が開口しております。
 古墳の本「さいたま古墳めぐり」には、この古墳群について、
 県内でも屈指の楽しい古墳と書かれていますが、
 そこには大いに同感なのでありました。
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■金崎古墳群、大境2号墳。
 開口しているのは玄室部なので、墳丘の周囲は削られ、
 コアの部分しか残存していないということでありますが、
 板状の石を横置きに積み、持ち送りにしてRにした石室を見るにつけ、
 よく残っているものだと感心するのであります。

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■西から。
 立派なケヤキががっつり乗っております。

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■金崎古墳群、大境1号墳。
 金崎古墳群に現存している4基の古墳のうち、
 この古墳だけが開口してないということであります。

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■その大境1号墳の墳頂から見た、メインイベントの大境3号墳。
 ピーナツ?
 径20mに満たない円墳ですが、もっと大きかったのではと思わせる、
 雰囲気がありました。

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■ピーナツのクビレ部から。
 立て掛けてある案内板の手前の平たい石は、
 崩落した天井石なのでありますね。

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■拡大。

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■墳丘の上にある立派な案内板。

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■木の階段で下におりて、

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■石室正面。迫力があります。
 これ以上の崩落を防ぐ補強工事がされていて、中には入れません。

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■隙間から覗いた内部。
 とても丁寧なつくりであります。

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■少し離れた南側から。
 変形を受けたにしても不思議な形であります。

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■大境1~3号墳から、少し離れた金崎神社のすぐ西側にある天神塚古墳。
 氷雨塚とも呼ばれていたとのことであります。
 番号で言えば大境4号墳。

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■天神塚古墳。

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■西側から。

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■開口しております。

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■張りのない直線基調の石室であります。

 して、秩父には氷雨塚と呼ばれていた古墳がたくさんあって、
 それだけ開口していた古墳が多かったということだと思うのでありますが、
 この古墳群でも、先の3号墳も氷雨塚と呼ばれていたかもということであります。
 「埼玉の古墳」には、幸田露伴の「知々夫紀行」の引用もありますが、
 この金崎古墳群については、とても興味深いのであります。
 その一部。
 「...氷雨塚というもののこのあたりにあるべきはずなるが知らずやと問えば、
 そのいわれはよくも知らねど塚は我が家のすぐ横にあり...」
 「...大淵、小柱、金崎、皆野、久那、寺尾等秩父郡の村々には
 氷雨塚と称うるもの甚はなはだ多く、大野原には百八塚などいうものあり...」
 それから、この「知々夫紀行」の最後は、深谷から汽車に乗った幸田露伴が、
 コーノスで降りて、人力車を走らせて吉見百穴を見てから、
 また引き返して汽車に乗ったということを、初めて知りました。
 にしても、往復20km以上の距離を、人力車は走るのでありますね。
 それがすごいと思うのでありました。

秩父の古墳めぐり ルート

古墳の本「さいたま古墳めぐり」を完遂をめざすべく、
ポカポカ陽気の一日、秩父に行ってきました。
秩父鉄道を利用した徒歩の古墳めぐりでしたが、
予定していた5か所をすべて見ることが出来て、満足なのであります。

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■まずは「影森駅」まで行きました。
 この駅は以前、有馬峠に行ったとき以来であります。

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■そこから「狐塚古墳」を見た後、「お花畑駅」まで歩く途中に見上げる武甲山。

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■「お花畑駅」で立ち食いました。

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■駅近くの観光案内板。
 やっぱりそれは「狐塚古墳」ということでいいじゃろか。

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■「大野原駅」で下車。ちょうどSLが見れました。

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■なんだかラッキーであります。

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■横瀬川がグイッと削った「大野原古墳群」の立地に関心して、

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■グーグルまかせの道を歩き、

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■和銅大橋で荒川を渡り、「飯塚・招木古墳群」を見て、

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■戻って荒川右岸を歩き、「大塚古墳」を見て、

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■うなぎのいい匂いのする「皆野駅」から乗車して、

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■「親鼻駅」で降りて町を歩き、

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■親鼻橋で荒川を越えて、

P1440231
■「金崎古墳群(大堺古墳群)」にすごく感動して、

P1440269
■「上長瀞駅」から帰途についたのでありました。

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