451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

秩父 皆野散策(2)

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■大渕古墳。

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■古墳の盛土はなく、石室というか玄室のみが露出しております。

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■古墳の西側を走る道路のH6の拡張工事の際に、
 周掘の一部が発掘調査されたとのことであります。
 
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■その時の実測図。
 現存している古墳は右下の部分。調査したのは左上の周掘部分。
 このことから、径25mの円墳と推定されるとのことであります。
 石室の大きさは秩父最大級とのこと。
 して雨は、このあたりで傘をささなくて平気なくらいに弱くなっていました。
 ただ寒いのは変わらずでしたので、この古墳そばにあった、
 おいしそうな蕎麦屋さんであったまろうと思ったのですが、
 開店まで30分ほどあったので、ちょっともじもじしてから先に進みました。

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■大渕古墳より少し手前にある青木巡査殉難の地。

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■案内板。
 
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■赤平川を渡り、小柱地区にあがりました。

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■小柱の氷雨塚古墳。
 開口しているのですが、裏(北側)から見ただけ。

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■小柱地区からの破風山。
 手前の白肌の木はなんだろう。果樹でしょうか?

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■破風山の右型に集落が見えていたのでズーム。
 桜ヶ谷の集落でありますか?

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■荒川と赤平川の合流地点の見晴らしのいい段丘端に、
 オープンな雰囲気の神社があったので立ち寄りました。
 右奥は宝登山。


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■同じ神社から、皆野の町ごしの蓑山。

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■案内板。

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■神社付近には古墳かもと思われるような盛りもありました。
 この木の下の小さな建物は、この後、荒川を皆野橋で渡ってから、

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■桜を撮った写真に写っているのを、後から気が付きました。

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■それから、今日の最後の目的地、蓑山に向かう途中で、
 住宅街を抜けた場所に、古墳かもと思われる盛がありました。
 以下の地図の「大浜」と書かれた場所の上の赤丸の地点であります。
minano
つづく。

秩父 皆野散策(1)

土曜日、前日からの冷たい雨が降っておりましたが、
また鉄道利用で秩父に行きました。

P1440410
■稲穂山古墳近くの高台から皆野の街並み。
 右の秀峰は宝登山。

minano
■長瀞駅からスタートして皆野駅でゴールの15km弱の歩きであります。

Chichibu_Basin
■今日のだいたいのコースは赤線。
 秩父盆地の口が閉まる個所であります。
 青線は次に自転車で走りたい、吉田、半納、小鹿野のコースイメージ。
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■雨の寄居駅。
 最初に一本乗り遅れたせいで乗り継ぎまで時間があります。
 乗り換え案内では40分待ちですので、飯でも食べてと思うのでありますが、
 ここにはあまりそういうものはないのであります。
 ちょっと寒いと感じるホームで時刻表を見ていたら、
 急行なら20分程度の待ちなのを知りました。
 今日は上長瀞駅から歩き始めるつもりだったので、
 それをネットで調べておりましたが、急行が止まらない駅なのでありますね。
 ホームは寒いし、急行の止まる長瀞駅から歩き始めればいいしであります。

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■急行料金、200円。

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■車窓から、霧の風布の山並み。

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■雨の中を傘さして、しばらく黙々と歩いていると、
 先日の金崎古墳群・大堺2号墳。

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■石室が大迫力の金崎古墳群・大堺3号墳。
 今日は北西から民家を挟んで眺めただけ。

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■山の神様でしょうか。

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■屋号がない蔵を通り、

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■永保社跡と創始者のリレーフ。
 「ここをやらねぇと風布の衆がおさまらねぇ」で一日早く武装蜂起し、
 襲撃したという場所であります。
 それから荒川に削られた狭い山裾を歩き、少し開けた国神地区に出ました。

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■国神の大イチョウ。


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■裏側から。
 かつて高さ1m、径7~8mの高まりがあって、
 国神塚古墳の跡と思われる場所とのことでありますが、
 今は少し盛り上がっている程度でありました。

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■そばにはもう一つの大イチョウである「知知夫姫命のイチョウ」。

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■後ろから。
 これも古墳跡でありましょうか。天井石に使えそうな板石もありました。
 奥に見えるのは皆野の町と蓑山。

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■現地案内板。
 つづく。


秩父の古墳めぐり 大野原古墳群

大野原古墳群は、かつては百八塚とも呼ばれていたとのことで、
秩父では、先の飯塚・招木古墳群に次ぐ規模の群集墳であります。
4つの支群(黒草、大野原、蓼沼、下小川)に分かれているのですが、
そのエリアは、他の秩父の古墳群に比べて、
圧倒的に広いのであります。

P1440153
■大野原駅で下車し、歩き始めてすぐの愛宕神社。
 この社殿の下が24号墳。

P1440155
■裏に回ると、古墳の雰囲気が残っております。
 径13mということでありますが、作られた当時はもっともっと、
 大きかったのではと思えた古墳でありました。
 この古墳は、大野原支群の1基でありますが、
 周囲は開発が進んで古墳はほとんど残っていないのでしょうか。
 大野原字「宮崎」あたりは古墳が多く、四十八塚とも呼ばれていたと、
 「埼玉の古墳」に記述がありました。

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■横瀬川に削られ崖のようになっている箇所を歩き、

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■大野原古墳群下小川支群。
 手前の7号墳と奥の6号墳。写真には写っていないけれど、
 右側の藪には8号墳らしき墳丘が。
 7号墳は石室が開口しております。

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■7号墳の裾からみた6号墳。
 「埼玉の古墳」では、5基の円墳が南北に並んでいて、
 「五ツ塚」とか「五王塚」とか呼ばれていたとのことであります。
 そのうちの2基。

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P1440173
■削平された古墳の葺石が由来かもの、石が積まれた場所があって、
 雰囲気のある場所であります。
 
 これで、古墳の本「さいたま古墳めぐり」の秩父5か所を追加して、
 完遂まであと3つということになりました。
 また本からは漏れているけれど、秩父ではほかに、
 石室が完全に露出した大渕古墳や、国造の推定場所の一つの国神塚古墳、
 現時点最大の稲穂山古墳、久那の氷雨塚など見てみたいし、
 それから小鹿野の古墳と秩父事件の現場ももっと丹念に見てみたいのであります。
 今日、まず皆野に行ってとか考えておりましたが、
 冷たい雨だったので、またの楽しみとしました。

秩父の古墳めぐり 飯塚・招木古墳群

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■「招木古墳通り」を歩いて、先の秩父鉄道をくぐり、
 荒川にかかる和銅大橋を渡ればすぐ、120基以上の円墳で構成された、
 秩父最大の群集墳、飯塚・招木古墳群であります。

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■車道まじかの89号墳。
 この車道建設時にそれにかかる円墳7基の発掘調査が行われ、
 そのうちの一つをここに移転復元したということであります。

P1440184
■南側から。
 この古墳群の石室はすべて武甲山を向いていると、
 何かで読んだ記憶があるのですが、 資料を探せませんでした。
 気のせいかもであります。


P1440182P1440183
■現地案内板。

P1440186
■飯塚地区の古墳群。
 道の右にたぶん71、70号墳と、左にたぶん2号墳。

maneki
■上の写真は、青矢印の方向で撮ったもの。
 先の復元古墳の89号墳は、赤矢印であります。
 図は、古墳探訪の記録を、豊富な写真でPDFにされている方から、
 勝手に持ってきてしまった迫力のある分布図。
 明確に2群に分かれていて、左上が飯塚地区、右下が招木地区。
 飯塚地区の中央部に、比較すれば大型の円墳が2基が、
 並んでいるとうのがよくわかる図であります。

P1440192
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■6、7、12、16号墳あたり。
 近づけばグイッと高さがあるのがわかるのであります。

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■円墳とキジ。

秩父の古墳めぐり 狐塚古墳

秩父鉄道「影森駅」で下車して、この日初めに見に行った古墳であります。
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■もうこのあたりだろうと宅地をトコトコ歩いていたら、
 だいぶ近づいてから家のカゲにある古墳が見えてきました。
 ただ事前に見知ったイメージとはかけ離れていたのであります。

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■いつの写真かわからないけれど、秩父市のサイトから。
 事前のイメージでは、この写真のように、
 まっすぐの檜が数本と墳頂の社が目印の、畑の中の雰囲気のある古墳でしたが、
 檜は切られてしまったようであります。

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■それでも隙間から見える古墳は、
 長径24m、高さ4mのボリュームを感じます。
 左の家との境に、おそらく案内板が見えているのだけれど、
 近づけずでありました。

P1440139-2
■拡大。

P1440134
■西側に回っても近づけず。
 急な盛り上がりであります。右奥に武甲山。

P1440135
■南側に回っても近づけず。
 墳頂の稲荷社はしっかり大きいのであります。
 結局、墳丘に登って稲荷社で手を合わせるのはあきらめて、
 次の古墳に向かったのでありました。

IMG_0015
■これは、分布調査報告書のタイミングで詳細調査をした時の、
 古墳の実測図であります。変形を受けているせいなのか、
 一見四角の方墳のように見えるのであります。
 東側に2本、南側に1本のトレンチ設定でありますが、
 周堀は確認できなかったとのこと。
 広くはないけれど平地の古墳でありますので、
 周堀がないとは考えにくいし、だからこそのトレンチ調査であります。
 であれば、周堀はもっと外側にあったのか?
 だとすると、30mを超える古墳だったのかしら。
 古墳の本「さいたま古墳めぐり」では、この古墳を、
 現存する秩父地方最大の古墳としていますが、
 かつての姿も最大級だったのかもと思わせる調査結果でもあります。
 うみゅ。
  ※分布調査報告書
    『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.


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