451のミニベロ

ミニベロで、雨の心配のない日の自転車通勤や、週末のサイクリングを楽しんでいます。
それから、雪のシーズンには山でテレマークスキーをしたりもしていましたが、このところは古墳めぐりが大好きになりました。
※ 2008年11月 に「OCNブログ人」で始めたブログですが、そのサービス終了のため 2014年10月 こちらに移ってきました。

鹿島古墳群へ

冷たい向かい風のなかを、荒川に向かったのであります。

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■丘陵を抜けて、

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■日陰には朝方の雪がうっすらと残っていたので、
 滑らないように硬直しながら、

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■着きました。
 鹿島35号墳。小さな稲荷社。

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■葺石だろうか。小さめの石だらけであります。

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■鹿島古墳公園のメインエリア入口にある案内板。

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■下草が刈られているので、藪に悩まされることなく、
 群集墳を歩いて見て回れる。やっぱりいい所だなぁと思うのであります。
 基本葺石がありますので、この景色は当時は以下のように、
 見えていたはずです。

P1430845-2
■イメージ。

P1430853
■先の景色の中央に見える赤さびた案内板はこれであります。
 ところどころしか読めないのでありますが、
 最後の方は、「昭和四十?」と「川本村長」と書かれているように思えます。
 県指定史跡になった頃のものでありましょうか。

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■墳頂から南の展望。

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■鹿島66号墳と思われる円墳。

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■この古墳に限らずですが、墳丘には葺石。

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■公園の幅が狭まった個所。西の眺め。

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■公園西側の鶏舎が近い林の中。

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■古墳群のほぼ西端から東方向。
 ここでもかつての景色は、

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■イメージ。

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■して、あれが見たかった3号墳と思われる盛であります。

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■南から。

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■西側。葺石と思われるものが。

P1430891
■北から。うみゅ。
 それから、吉野川を渡ったすぐに、ます塚古墳という、
 1辺10mの方墳があったというそれを見に行きました。

P1430892
■ます塚古墳はもう見当たりませんが、すぐ近くにこんなのがありました。
 見たいものが見れたので、あとは帰り道がてらに、
 いくつか別の古墳を見てであります。
 ただ冷たい風が吹く日でありましたので、この頃から、
 もう脳みその大半は、さくら屋であっつあつのかけうどんを食べることばかり、
 考えているのでありました。

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■江南台地に冷たい道で上がり、

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■上がった所。

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■上前原古墳群1号墳。

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■上前原古墳群2号墳。
 しっかりした高さがありましたが、墳頂がぼっこりと陥没しておりました。

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■それから瀞簡院2号墳。

P1430914
■この古墳はいつみてもギリギリ感がすごいと思うのであります。

P1430918
■お昼をとうに過ぎた時間でも込み合っていた店内のカウンターで、
 お待ちかねのうどん。
 体が冷えておりますので、喉が焼けるかと思いました。
 体が温まったあとは、のんびり丘陵を越えて帰るであります。
 

鹿島古墳群の興味

言わずと知れているかは不明でありますが、
100基以上の円墳だけで構成された荒川右岸最大の群集墳であります。

20120131
■2012/01/31の鹿島古墳群。
 西に向かって伸びる道の右側が保存区域内でありますが、
 道の左側にも削平された古墳がいくつもあったというのを、
 この時は知りませんでした。

8f66ddbc
■2015/02/15。
 河岸段丘の縁に沿って並ぶ古墳。

20100411
■2010/04/11。
 古墳だけを見るには、下草がじゃまにはなるけれど、
 桜や菜の花はきれいであります。

して、「埼玉の古墳」や「分布調査報告書」を読んだり見たりしていると、
いくつか素朴な疑問というか興味が湧くのであります。

農地整備でいいのだろうか、県営ほ場整備という事業区域から外れた、
荒川より(北より)の54基が、1972(S47)に県指定史跡となり、
区域内の27基が、1970(S45)に発掘調査されております。
それから時間を空けて、1993(H5)からの古墳公園化構想が始り、
今に至るというのが、おおまかなところであります。
そもそも100基以上という古墳群でありますので、
古墳公園内に保存されている古墳以外の古墳は、
どのあたりにあったのか?
今も何か痕跡が残っているのか?
2000年になっても新たな古墳跡が見つかったりしているので、
まだもっともっとあるのでありましょう。

※埼玉の古墳
 塩野博(2004) 『埼玉の古墳:大里』 さきたま出版会.
※分布調査報告書
  『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.


KT60AEZ-CA101-1021_19601128
■1960年11月(S35)の鹿島古墳群。
  出典:国土地理院 「KT60AEZ-CA101-1021」をトリミング。昭和35年(1960/11)撮影。

kasima_p2
■以前に撮影した現地案内板の一部。

kasima01
■重ねるとこんな感じであります。
 径10mクラスの円墳が多く、径20mクラスがポツポツと点在しておりますが、
 左側、保存区域外のあたり(区分けでは台支群南)に大きな円墳が多く、
 特に8号墳(赤矢印)は、周堀の調査から径約38mとのことで、
 ひときわ大きい古墳であります。
 発掘調査時は10mクラスの墳丘しか残存していなかったとのことでありますが。

CKT7418-C86-10_19750115(昭5
■1975年1月(S50)の鹿島古墳群。
 農地整備の後でしょうか。S35に比べ、農地の区画が大きく直線的になり、
 保存区域外の古墳は削平されているように見えます。
 にしても古墳の際まで丁寧に耕作されているものであります。

  出典:国土地理院 「CKT7418-C86-10」をトリミング。昭和50年(1975/1)撮影。

CKT901-C9-8_19901001(平2)
■1990年10月(H2)。
 保存のための公有地化が、幅の狭いエリアから進捗しているのかと、
 思わせるところであります。

  出典:国土地理院 「CKT901-C9-8」をトリミング。平成2年(1990/10)撮影。


CKT20091-C11-9_20090428(平2
■2009年4月(H21)の鹿島古墳群。
 古墳公園の区画がはっきりとわかる。

  出典:国土地理院 「CKT20091-C11-9」をトリミング。平成21年(2009/04)撮影。

して、「埼玉の古墳」で発掘調査の記録を読んでいたら、
保存区域外で発掘されていないと思われる古墳がありました。
3号墳、4号墳であります。
kasima02
■赤矢印が3号墳。
 重ねがずれているのでありますが、
 右の民家の敷地内なので、農地整備の対象にならなかったのでありましょうか。

kashima-g2
■現在のg航空写真。
 3号墳、4号墳なのかしらと思わせるものが。

kashima-g3
■3号墳と思われる個所のgストリートビュー。
 うみゅ。
 このところ寒いし、今日は朝から小雪が舞っている天気でありますが、
 晴れてきたので、今から自転車でピューッと見に行こうと思うのであります。

清水山古墳群(旧川本町)

shimizu
■清水山古墳群は北側にある鹿島古墳群と直線で1kmも離れておりません。
 両方とも同じような後期の古墳群だと思うのでありますが、
 荒川右岸で比べれば低地にある圧倒的な数の古墳群と、
 台地縁に点在する小規模な古墳群との、お互いの関係性はどうだったのか?
 清水山古墳群の生活圏はやっぱり台地にあったのか?
 不明なことばかりのせいか、興味深いのであります。

P1430814
■工場の跡地から。

P1430817
■清水山4号墳。
 南側を工場用地で削られております。

P1430818
■しっかりとした大きさと高さがありました。

P1430819
■清水山3号墳。
 保存状態は良いように思います。

P1430822
■北側から。
 しっかりとした高さがあるし、2、3mの幅で周堀らしき窪みもありました。
 4号墳、3号墳ともに径20mはありそうな大きさでありました。
 藪が濃く、2基だけで他は見れませんでしたが、
 また見に行けたらと思うのでありました。

してこの場所や周辺の古い航空写真を見ていたら、
またとても興味深いことがありました。
KT60AEZ-CA101-1022_19601128
■まだ工場が建てられる前のS35年の清水山古墳群のエリアでありますが、
 赤矢印のところ、円墳が浮き出ているように見えるのであります。
 これは4号墳、3号墳と思われます。
 以外にも、その右のほうとかになんとなく丸い箇所があるけれど、
 赤矢印の箇所ほど鮮明ではない感じであります。
 出典:国土地理院 「KT60AEZ-CA101-1022」をトリミング。昭和35年(1960/11)撮影。

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■にしても、あれもこれも円墳に見えてしまう。

CKT7418-C87-10_19750115(昭5
■これは工場が建てられているS50年の同じ場所。
 樹勢が強くなったのか古墳が浮き出してはいないのであります。
 出典:国土地理院 「CKT7418-C87-10」をトリミング。昭和50年(1975/01)撮影。

 別の興味でありますが、この工場は1964の航空写真にまだなくて、
 1970には出現しております。
 そして2009の航空写真では更地になっておりました。
 何の工場だったのかしら?

釜場古墳群(旧江南町)

kanba
■分布調査報告書によると、以下すべて円墳で、
 最も大きい4号墳は「富士塚」と呼ばれているとのことであります。
  釜場1号墳-径8m
  釜場2号墳-径6m
  釜場3号墳-径5m
  釜場4号墳-径12m
  釜場5号墳-径8m
  釜場6号墳-径4m
 径5mというのは藪の中ではほんとに小さくて、
 ビートルが1台止まっているのかしらぐらいの大きさな印象であります。

 ※分布調査報告書
  『埼玉県古墳詳細分布調査報告書』 埼玉県立さきたま資料館(1994)埼玉県教育委員会.

P1430781
釜場1号墳。
 肉眼ではもっと古墳らしい高まりと丸みがわかるのでありますが。

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釜場2号墳と思われるもっこり。

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釜場3号墳と思われる小さなもっこり。
 歩いているとわかる不自然な盛りであります。

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釜場4号墳(富士塚)と思われるもっこり。
 確かに比較すると大きくて、3か所の掘られた跡がありました。



江南台地の縁辺部

雨上りの午後、先日の上大塚古墳群1号墳のような、
眺めの良い台地端に立地する古墳見たさに出かけたのであります。
清水山古墳群から、上前原、行人塚、瀞簡院、天神山などの旧江南町の、
古墳群を回ろうとという計画であります。
ただ途中の丘陵の古墳群で時間がかかったり、
うどんを食べちゃったりで(これはたいしてロスにはなっていない)、
日没が迫ってきたので、旧川本町の清水山古墳群を見た後は、
一目散に帰ってきたのでありました。

shimizu
■左は先日のトラック。

P1430772
■雨上りの丘陵。

P1430773
■道の途中にある日向古墳群(旧江南町)の2基を探したけれど、見つからず。

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■カンパ沼(釜場沼)先の新沼から、釜場古墳群を見に行きました。

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■道の途中、上原古墳群の2号墳。
 道路側が削られていますが、径30m円墳の迫力であります。
 個人宅の庭だと思うのですが、いつ見てもきれいにされていて、
 すばらしいと思うのであります。

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■そのすぐそば、同じ地内に上原古墳群の1号墳。径24mの円墳。

P1430808
■遅い時間でしたが、千代屋の暖簾が出ていたので、
 つい食べちゃいました。

P1430810
■食べた後は西に向かい、

P1430811
■清水山古墳群への北からのアプローチ。
 篠藪がすごいのでこっちからはあきらめ、南側の造成地から見に行きました。

P1430825
■その後、暗くなる前に帰らなくちゃであります。

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